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TEDDY@SPEEDWAYさん!
ラジオのパーソナリティーを目指しているんですね。何とか実現できるとイイですね!
私は、コミュニティFM局で2年間、「ブルーグラス」専門番組をやっていました。毎週、土曜日の昼前の30分でした。局へ企画書(のようなもの)を持ち込み御願いして、実現させました。好きな音楽を一人でも多くの人に聞いて欲しい・・・というのは自然な事だと、私は思っています。(局長さんに「ほほ〜っ、グリーングラスですか?」と言われたことを今でも覚えています(笑))
お久しぶりです。
僕にも残念ながら商才はありません。ウチの業績は赤地と黒地の市松模様。常連さんにも「もっと商売っ気出せ」って怒られます。
東京にいた頃に営業バンドで大好きなエルヴィス・プレスリーを毎晩歌っていましたが、「レコード通りに」っていう方針のバンドだったので、物真似家業に嫌気が差して辞めました。その後カントリーに目覚め今に至りますが、後悔はありません。今は生活は苦しいですが、好きな歌を好きな歌い方で歌ってちょっとずつ評価されてきた現状を嬉しく感じています。とは言え、もうちょっと稼ぎがないと結婚も出来ません(涙)。
今目指している副業は、ずばりラジオのパーソナリティー、DJです。しゃべりも上手くはないし知識もまだまだ不足していますが、歌心を伝えながら、カントリー周辺の音楽を普及させたい、楽しさ・素晴らしさを伝えたいと考えています。ただ、ローカルの局ではオーディション無しでほとんどの場合コネだけでDJが採用されています。なかなか道のりは険しいです。
私も前にも書いたようにエイギョウが生活の糧でしたので、新聞、雑誌、PR雑誌などに本名、筆名入り乱れて書きまくりました。
大阪日日新聞には「色道徒世人」という題で、色の道あれこれを半年も連載しました。つまりキワモノという売文です。同じ新聞に本名でマジな音楽コラムも連載していたのですから、まさに二重人格でした。まあそれで清濁相呑むという格好で面白い経験もたくさんしました。それでも、私のような無能者が犯罪にも手を染めず、ここまで生きてこれたのですからエイギョウには感謝しています。私に商才でもあればTEDDYのようなウエスタングッズの店か、音楽喫茶でもしたかったのですが、なにぶんゼニ勘定が大嫌いで、客扱いもヘタ。やっぱり書くしか能がなかったようです。お互い、ことここに至ったら居直って強引g My Wayでいくしかないですね。
エイギョウが嫌になってフルタイム・ミュージシャンをリタイアしたのですが、エイギョウをやったことで、結果的には応用力・適応力が身に付いたと思います。どんな音楽でも好き嫌い無く順応できるようになりましたし、曲を覚える速さも、同年代のアマチュアとは比べ物になりません。ジャンルを問わず、スタンダードと呼ばれるような曲の貯金もけっこうできましたし、なにより、メロディを掴むことの大切さを学びました。ためになったことも少なくないということです。
しかしながら、今のようなパートタイム・ミュージシャンの方が音楽を楽しめています。売文を少しやっていますが、売音はもうやりたくないです。
私の場合は才能とは関係なく、それしかできなかっただけです。数字に弱く、銭勘定が苦手で、、おまけに喧嘩早くて、イヤなやつと妥協してやっていく才能がなく、結局はエイギョウが主収入でした。今でもJ-カントリーは誰一人としてそれで喰えず、皆がエイギョウ人生を余儀なくされていますね。なんとかこういった環境を打破したと思っています。ここに登場するTEDDY君もウエスタングッズの店で頑張りながら音楽をやっていますが、ああいう若者を見ていると嬉しくなります。それもそうだけど、せっかくハンドルネームで書いても、自然と私と分かりますね。アタマ隠して尻隠さずという間抜けぶりです。