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今日、トニー・ガトリフ監督作品の映画『僕のスイング』を渋谷シネマライズに見に行ってきた。新年9日の先行ロードショーの時もシネマライズに居たのだが、その時は、準主役のチャボロ・シュミットや監督の舞台挨拶のお手伝いだった。しかし、昨年末に試写会も見たので、実際は二度目の鑑賞だ。午後3時半からの上映ということで、客の入りもまばらで、一ヶ月以上のロングラン興行としては難しい感じを受けた。それはさておき、映画自体には感動を覚えたので、感動が消えないうちにこの駄文を書こうと思ったわけである。
ストーリー自体は、よくある小さな恋の物語進行で特筆すべきものはほとんど無い。あるとしたら、フランス映画特有の起承転結の無さが嫌味にならずにストーリーと共有できていた点であろう。しかし、それはどうでも良い。この映画には、いくつかの主題がある。そのひとつは今年50周忌を迎えるジャンゴ・ラインハルトへのオマージュだが、これについては当サイトの得意とするところであるので、後述する。次にフランス、そして欧州における被差別民族であるジプシーやユダヤの悲しい歴史への回顧。民族というくくりでは、最近妙にきな臭いイスラムとユダヤの対立への警告。さらに人間というくくりでは、イスラム圏の女性の自立を音楽というフィルターでソフトに訴えている。後は先進国が抱える環境問題への啓発もある。ただの青いラブストーリーではなく、現代のフランスや欧州が抱える身近な問題を、アフリカ生まれでジプシーの血が流れる監督が自らの実体験を元にして提起した社会派作品だと筆者は捉えた。これらの主題が感じられるカットは、実際に作品を鑑賞して自分で確認してみて欲しい。
さて、ジャンゴへのオマージュだが、ジャンゴの生涯を文献などで知れば知るほど、監督が作品の中で追悼を深めていることがよく分かる。ジャンゴが左手のハンディキャップを負った原因はキャラバン(映画ではトレーラーという珍訳でおかしかった)の火事であり、そもそもそれは、当時の造花がセルロイド製で燃えやすい素材であったために、ジャンゴ自らが造花に失火してしまったということである。また、ジャンゴはコーヒーを沸かしにキャラバンの外へ出て倒れ、そのまま帰らぬ人になったのだが、その数ヶ月前から偏頭痛をうったえていたことは有名だ。
ガトリフ監督はジプシー関連の映画制作がライフワークであり、前作でも俳優として出演させているが、ジプシージャズの現役ギタリストであるチャボロ・シュミットを重要なアクターとして登用したのは、彼が現在最もジャンゴ色とジプシー色とをバランス良く持ち合わせたプレイヤーであるからだと考えられる。そして監督自身もジプシージャズの理解者であり、自作の曲を映画に提供している。
下手をすれば三流映画になりかねない少年少女恋愛映画を、差別、民族、性別、宗教、生活習慣の間の隔たりを音楽という触媒で融和させるという演出で、社会への問題提起を感じる高尚な作品に仕上げた監督の手腕を評価したい。またそれは、ただの難しいだけの問題作ではなく、娯楽映画としても音楽好きにはたまらないものになった。このサイトを訪れる人で、まだご覧にならない人は、是非とも観ていただきたい。