15933591 visitors have come to this site since 26th April 1996.
知人のおかげで、表題のアルバムを聴くことができました。これは驚きべきことに、1969年録音の日本人が演奏するオールドタイム・ミュージックのアルバムであり、日本コロンビアから発売されていました。ナターシャセブンなどよりも何年も前に、こういうサウンドをメジャーな会社がレコード盤にしていたわけですね。
日本で日本人が演奏〜録音した盤ですが、なぜか邦題が付いていて、「サザン・マウンテンの魂」とあり、ロバート対中/歌、マウンテン・ランブラーズ/演奏となっています。事情は分かりませんが、若いマウンテン・ランブラーズのアルバムを出すために、実力者であるロバート氏が加わったか、ロバート氏がオールドタイムみたいなコンセプトでアルバムを作りたいから、マウンテン・ランブラーズに演奏をさせたか、いずれかでしょう。
当時の日本は、アメリカのフーテナニーに遅れること数年で、モダン・フォークから民謡にまで、趣味ある若者達が興味を移していました。グループサウンズが流行するのと同時に、キャンパス・フォークという和製モダン・フォークのレコードも乱造されました。アマチュア・バンドがメジャー・デビューすることに対して、とても敷居が低かった時代だと言えます。
アメリカでは、1950年代半ばにアパラチアの山の音楽が再発見され、当初、Mountain Musicと呼ばれていました。それが日本に伝わり、戦前のストリングバンド・ミュージックと混同した形で「マウンテン音楽」と呼ばれ、ウェスタン音楽(本来これはカントリーと呼ばれるべきだが、評論家の無知が原因でウェスタンと呼ばれていた)と区別されていました。初期にはブルーグラスでさえ、マウンテンと呼ばれていたようです。当時のマウンテン音楽のお手本は、New Lost City Ramblersということで、マウンテン・ランブラーズもそれにならった取り組みをしていたように、録音から感じられます。
New Lost City Ramblersは、モダンフォーク・ブームの元になるフーテナニー(民謡復興)の最前線に居たと言っても良いグループで、北部の若者が戦前のストリング・バンドの録音を忠実に再現する演奏をしていました。ですから、本当の意味でのオールドタイム・ストリング・バンドでは無く、単にオールドタイム研究に秀でたフォーク・バンドだと僕は考えます。実際、当時のライブ演奏では、曲ごとに楽器を持ち替えて、ライブであっても、古い音源そのままの演奏を目指していたようです。彼らは、モダン・フォークのポップさに着いて行けないマニアックな日本のフォーク・ファンにも絶賛されていました。高石友也さんなどもその一人だったようですね。
話が逸れましたが、今から35年も前に、日本人がこんなにマニアックな演奏をしていたことにびっくりしました。マウンテン・ランブラーズのメンバーは、亀野達夫、佐々木仁、近江謙二、清水功の4人で、前者2人はその後、ジューンアップル誌の創刊に深く関わって行き、日本のブルーグラスの発展に寄与することになります。当時20歳そこそこの若手ミュージシャンは年齢を重ね、現在、近江さんを含め、まだまだ現役で演奏を楽しまれています。
さて、肝心のアルバムですが、演奏曲は次の通りです。
・Run Mountain(Montaineers)
・The Cyclone Of Rye Cove(Carter Family)
・House Of The Rising Sun(Trad.)
・What’ll I Do With The Baby-Yo(Montaineers)
・Weeping Willow(Carter Family)
・Victory Rag〜Doc’s Guitar
・East Virginia Blues(Trad.)
・Sailor On The Deep Blue Sea(Carter Family)
・When I’m Gone
・Willow Garden(Trad.)
・The Lone Pilgrim(Trad.)
・Keep On The Sunny Side(Carter Family)
・Country Blues(Doc Boggs)
・Baltimore Fire(Charlie Pool)
何曲か謎の女性ボーカルが入るのですが、カーター・ファミリーの雰囲気を出すには、完全に失敗しています。たぶん、商品として、フォーク・ファンに向ける意味もあって、プロデュース上、女性ボーカルを無理矢理突っ込んだのでしょう。あるいは、ロバート氏の縁故者だったのかもしれません。特に、朝日の当たる家は、なぜ収録されているのか分からないほど、コンセプト的に異質です。肝心のロバート氏の歌は、つい先日赤羽で聴いたのと全く同じで、完成された歌唱だと思います。しかしながら、オールドタイム・ストリング・バンドで唄うには、あまりにヒルビリーすぎてマッチしていないと僕は思います。当時であれば、ロバート氏のロイ・エイカフばりの歌がオールドタイムで通用したのでしょうけれど、今日の耳の肥えた音楽ファンには、「お呼びでない」歌に聴こえます。しかしながら、当時の状況を考えると、全て好演であることには変わりありません。
僕が選ぶアルバムのハイライトは、When I’m GoneとCountry Bluesです。前者はコーラスがばっちり決まった、その後の日本のブルーグラスを暗示させる演奏です。後者は、ドック・ワトソン経由だと思いますが、ドック・ボッグスのロンサムさをうまく表現できたソロで、バンジョーもうまく感じを出しています。
アルバムを通して特筆すべきは、亀野さんの演奏技術です。当時これだけ弾ける人がプロフェッショナルで居たのだろうか、と思えるほどのテクニックを聴かせてくれます。この人抜きでは、このアルバムは録音できなかったでしょう。
なにやら、いわくがいろいろありそうなアルバムですが、ともあれ、こういう演奏を残しておいてくれたレコード会社とミュージシャンに感謝します。
光さんのお書きのアルバムとは違いますが、[ Old Timemusic / Robert Tainaka]という音源を持っています。
収録曲は、「勇敢なる機関士」 「キャロナイナのわらぶき小屋」「色あせし恋」「フォギーマウンテン・ブレークダウン」「マウテン・レイルロード」「谷間の灯」「カボーイの哀歌」などです。もしお入用ならご連絡ください。
ご親切ありがとうございます。せっかくですが、ロバートさんの歌は素晴らしいのですが、今の僕らの状況では、もうごちそうさまで、音源を取り寄せてまで聴きたいとは思いません。またご無理をお願いすると思いますが、その時はよろしくお願いします。
ロバート対中氏を検索中こちらのサイトにヒット致しました。SOUTHERN MOUNTAIN SOUNDの謎の女性ボーカリスト3名の内のひとり、カーター・ファミリーの雰囲気創出失敗者は私の実姉です。彼女はその後米人フィドラーと結婚し、現在はケンタッキー州在住です。
彼女は対中氏の弟子ではありましたが、私に言わせてもボーカリスト足り得る実力など無く、対中氏の秘書の役割を演じたことのある単なるマウンテンオタクというのが妥当なところでしょう。白馬童子さんの書かれたOld Time Music/RobertTainakaにも登場していたのでちょっと恥ずかしいものがあります。
それにしてもHikaruさんの分析はかなり的を射ておられ、大変感心致しましたし、若き日の亀野氏の演奏を生で聴いた者のひとりとして懐かしく拝読致しました。
アルバム制作に関わる話などしたいところですが、今は時間がないのでこの辺で失礼致します。有難うございました。
謎の女性ボーカリストの身内の方ですか。滅多なことは書けませんね。すみません。
その、「アルバム制作に関わる話」ですが、お時間のある時に教えてください。
レスを頂き大変ありがとうございます。すみませんなどと仰られては却って恐縮の極みですので、どうかご遠慮なく。では件のアルバムについて少し触れてみたいと思います。(以下文中敬称略、文体も変えます)
このアルバムは、ロバート対中のプロデュースによるコロンビアのオールドタイムミュージック・シリーズ構想から生まれたもので、評論家の和田誠司や杉浦光といった面々も仕掛け人として深く関わっていた。特に和田誠司は、当時ロバート対中行くところ常に和田誠司ありと言うほどにロバートとは親交が深く、アルバム・リリースに一役買っている。
世に埋もれたミュージシャンを広く売り出すという名目があったようだが、ロバート&ジェリー対中と彼のスモーキー・レンジャーズは決して埋もれていた訳ではなく、しかるべき場を得て着実に演奏活動を行なっていた。ただ、当時日本人のC&Wミュージシャンといえば、せいぜいJTかKT(中傷するつもりは毛頭無いのですが、人様のサイト故実名は伏せます)あたりがかろうじて一般に少し知られていた程度であり、とかく大方の音楽愛好者達からはキワモノあるいはマネゴト視されていたのは事実で、和田誠司らが鑑賞に値する日本人実力者の存在を世に知らしめたいと意図したことは、当時の状況を考えれば大いに理解できるところだ。
ロバートとジェリーの兄弟は、互いにまったく持ち味が違いながら極めて絶妙なコンビである。ロバートはレパートリー4,000曲以上というひたむきで偉大なオールドタイム・ミュージック研究者であり、弟ジェリーはジャズ・べーシスト出身のチャレンジ精神旺盛なアーティストだ。オレンジブロッサム・スペシャルを演奏中、フィドルの山本譲との掛け合いに興が乗ると、ジェリーがVEGAの金のバンジョーを脱ぎ捨てて弟ヨシフミからベースを奪い、小柄な体で大きなウッドベースを自在に振り回し叩きまくるのをよく目にしたものだ。ジェリーは後にバンジョーをフィーチャーしたジャズのセッション・アルバムをリリースしており、収録曲中のOn The Sunny Side Of The StreetがナショナルマックのテレビCMに起用されて話題を呼んだこともあった。
ロバートの日本のブルーグラス界における貢献は後進の育成等数多いが、最大の功績は1960年代後期から1970年代にかけて彼自身が構築した人脈によって本場から次から次へとトップミュージシャンを招ては日本公演を実現させたことであろう。Lester Flatt & Earl Scraggs, Ralf Stanley & the Clinch Mountain Boys, Country Gentlemen, Lilly Brothers & Don Stover, Bill Monroe & his Blue Grass Boys, Doc & Merle Watson, Jim & Jesse, Tex Ritter, Spectrum & Bela Fleck, Tonny Trischka & Skyline等々といった当時来日したアーティストの大半はロバート対中のプロモートによるものであった。この事が日本の愛好者達に与えた恩恵は計り知れないものがある。
話をアルバム・シリーズに戻そう。シリーズ第一作はスモーキー・レンジャーズが米軍キャンプ等で使っていたキャッチフレーズNo.1 Blue Grass in Far Eastから採ったNO.1 BLUE GRASSである。レコーディング・エンジニア達が初めて耳にする本格的なオールドタイムの演奏スタイルにただただ聴き惚れ、各パートのチャンネル調整を殆どしなかったと聞くが、そのせいかこの盤では音のバランスが悪く、特にドブロの音がきれいに拾えていないのも難点だ。
第二作はCOUNTRY STANDARDと題し、ロバートの弟子でもあるデイブ久保井とロングホーン・ランチボーイズをフィーチャーしている。余談ながら、久保井は広島の強面一家の御曹司なのだが、髪を短くした健康的な好青年でもあったため、米軍キャンプでは軍人ファミリーの保守的なご婦人方から好感を持って迎えられていた。またこの盤では、在日米軍人の娘がHe’ll Have To Goを歌っているが、フレージングのための発音指導をロバート対中が行なっているのが興味深い。
そして第三作がこのSOUTHERN MOUNTAIN SOUNDということになるのだが、この盤まではロバートの弟子達を随所にやや強引に起用したというわけである。そのためそれぞれがチグハグな出来映えとならざるを得ない事も承知の上でプロデュースされたのではないかと思う。この制作にまつわる話として、マウンテン・ランブラーズのレコーディングの時ジェリー対中が乱入し、メンバー達の楽器を取り上げてチューニングし直してしまったというものがある。いかにもジェリーらしいエピソードだが、やられた側はさぞ腹立たしい想いをしたことであろう。メンバーの一人、佐々木仁も最近彼のサイトで「それ以来ジェリー対中が嫌いになった。」と当時のことを述懐しているのを見て思わず頷いてしまった。ただ、類稀な耳の持ち主であるジェリーのこの振る舞いには一点の悪気もなかったのであろう。因みに、スモーキー・レンジャーズがHoliday in Japanと銘打った米軍キャンプ廻りに参加した時に、同行した雪村いづみが耳の良いことを自慢にしているのを聞いたジェリーが彼女にコード当て合戦を持ちかけ、最後には雪村を悔し泣きさせるほどに打ち負かしたというエピソードも残っている。なかなかに気性の激しい人だった。ジェリーはシェ・イノの井上シェフに顔も声も性格も似た人だなと思ったことがあるが、この人がまた、若い頃に弟子を叱る代わりに手鍋で殴り、結果として方耳の聴力を失わせてしまったことがあるという激しい逸話の持ち主なのには驚いた。
いずれにしても、このアルバムの価値を決定付けているのは亀野達夫のギター・テクニックであることは、Hikaruさんが既にご指摘の通りだ。今はともかく、当時Doc Watsonをかくもあっさりと弾きこなす日本人がいることを知って驚愕しなかった人はいないであろう。上記のCOUNTRY STANDARDにフィーチャーされたロングホーン・ランチボーイズにも通称トンちゃんという若くて滅法ギターの上手い男がいて、アルバムのキーマンとして同様の役割を演じていた。
さて、その後完全にロバート&ジェリー対中とスモーキー・レンジャーズ主体のものとなったシリーズの第四作は、TRIBUTE TO ROY ACUFFである。一作目のNO.1 BLUE GRASSでWabash Cannonball録音の際、ロバートは米軍キャンプで日本通の聴衆にウケていた「最初のフレーズのoceanをわざと日本人的にオーシャアンと発音するヤツ」をついうっかりやってしまったと後に回想しているが、この盤ではオウシュンに近いノーマルな発音にちゃんと修正して歌っている。ジェリーのコーラスは線が細く、Bashful Brother OswaldがRoy Acuffとツインタワーを成すような強烈さはもちろん無いが、ロバートの歌唱を控えめ且つシャープに支えている。
その後レーベルがExpressに移り、そこでリリースされたのがSTRICTLY BLUEGRASS SOUND(EP 7784、邦題は「これぞブルーグラス」)である。ここではLilly Brothersのナンバーを主体に選曲されており、日本人がレコーディングしたブルーグラスのアルバムとしては最高と思われる出来映えとなっている。この盤におけるロバートのボーカルは洗練された完成度の高いものであり、マンドリンを持った時が最も殺気を感じさせるジェリーのジャズっぽいアレンジと自在且つ正確無比なマンドリン・テクニックを楽しむことができる。また対中兄弟のコーラスも独自の個性を持ち、Lilly Brothersとは一味違った非常にソフィスティケイトされたものに仕上がっている。ロバートのサウンドには食傷気味のHikaruさんにも、この一枚だけは一度聴いて欲しいと思うのだが、現在私の手元には無いのが残念だ。
ロバートはTRIBUTE TO JIMMY RODGERSというアルバムもリリースしているが、難曲をロバート流に料理してあり、マニアックな愛好者でなくとも取っ付き易い作品となっている。
以上、話があちこちして大変読みづらい内容になってしまったと思いますが、お目汚しでなければ幸いです。何しろこの十数年極度に多忙で、ようやくブルーグラスを顧る機会を得たことでもありますので。
ところで、HikaruさんはRocky Topにも出演されていますが、あちらのバンド・スケジュールに載っている内田正昭は私の高校時代の同級生です。もし内田と既に面識がおありで差し支えがなければ、突然書き込んだ人間が図々しいとは存じますが、今後彼と遭遇なさった時にでも宜しくお伝え願えると有難いです。彼とも十数年ご無沙汰が続いており申し訳ない有様です。我が家には18匹の猫が居て(内15匹は保護した猫、もしくは岩手・長野・長崎等から里子に迎えた元野良猫達)、その中の2匹は2時間ごとに強制給餌の必要な老猫のため、都内に演奏を聴きに出かけることもできませんが、いつの日かHikaruさんの演奏を聴きに行きたいものです。
Hikaruさんも猫を飼っておいでのようですが、実は私の家内は猫関連サイト http://www.netpro.ne.jp/~kkk/ を運営しておりますので、よろしかったらこちらのサイトも覗いてみてやってください。これまたスレッドと無関係な話題ですみません。
長々とお邪魔をいたしました。ではこの辺で、ごきげんよう。
はじめまして、Corgeさん。長谷川の連れ合いでございます。奥様がWebマスターをされている《CAT’S EYES & CAT’S HANDS》のページ拝見しました。全てに目を通すには至っていませんが、ここ最近の楽しみになっています。それぞれの個性が光る猫達との生活、それも18匹なんていたら、こりゃ毎日大変だろうな〜,と思いつつも、本当は羨ましくて仕方がないのですが、3匹でも、毎日大騒ぎをしているのですから、これに+15匹となると、さてさてどうなることなのかしら?
さて、我が家にも8.5kgというデブ猫ですが、顔は小さくてとってもハンサムな子がいますので、近々、「でか猫登記所」にぜひ、登記させてもらおうかと考えています。とびっきり「でかく」見える写真、長谷川のページにも掲載してありますが、それよりも大きく見える写真ないかな…と物色しています。最近、またまた大きくなったようなので、新たに撮り直したほうが良いようですが。
音楽と関係無い話しでした。では、また、お会いしましょう。
奥様からもレスを頂けるとは!光栄です。ご覧下さり、家内共々感謝申し上げます。
実は先日、山下猛造氏の写真に遭遇し、「登記所級だッ!」と拍手を送っていたのです。お待ち致しております。
対中兄弟の活動史ならびに、当該アルバムの製作秘話を何度も拝読しました。昨今、日本のこの音楽の流れを系統立てて研究している人が何人か居ます。その方たちにとっても貴重な資料になることと思います。ありがとうございました。
内田さんは先月末にもロッキーでお顔を見かけました。ご伝言の件、心に留めておきます。
僕は独身時代は12匹の猫と暮らしていました。お産を手伝ったことありますし、親猫の育児放棄の尻を拭いて、育て上げた子猫もいます。結婚上京時には、全て置いてきましたが。一ヶ月後に帰阪した時、ただ一匹思い出して迎えに来てくれた子を東京に連れてきました。彼は一歳ほどでしたが、東京の地元ですぐにボス猫的存在になるほど強い猫でした。しかしながら、5歳になる前に行方不明になり、近所の情報を集めたら、近所のお宅の庭で倒れていたので清掃局で処分してもらったということです。状況を時系列に考察したら、たぶん猫嫌いの誰かの毒殺だろうということ結論を持ちました。書いてて悲しくなるのでやめますが、それ以来、猫は家から出しませんし、猫のホームページも作りません。(以前は全国的に知れた猫のサイトを持ってました。)
こちらこそありがとうございました。やがて頭の中で完全に風化してしまう前に書き記した甲斐があったようですね。このようなトピックに出会わなければ、古い記憶を文字にする機会はなかったかも知れません。
内田の件、かたじけなく存じます。あまり遠からず、何らかの方法で連絡を取ってみようとは思っています。HNのCorge(コルジェ)は、中家霞城(アタリヤカジョウ)と共に昔使っていたもので、どちらも彼は知っています。因みに前者は本名コウジの変形、後者は生まれたのが龍野市中霞城(ナカカジョウチョウ)だったことに由来します。
皆さん様々な想いで猫と関わっていらっしゃいますね。ご一家のご健康をお祈り申し上げます。
ではいずれまた、ごきげんよう。