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ニャンコ先生のページUpdate : 2019/02/09 Sat 02:17

大阪時代の1995年、吹田の自宅の僕のベッドの下で黒猫が産んだ子猫が居ました。父親はアパート2階のアトムというペルシャ猫。1996年2月に僕は本格的に東京練馬に移住しましたが、次の月の3月に所用で大阪に帰ったら、その子猫が家の周りをうろついてご飯を待っていました。江坂の東急ハンズで猫キャリー買ってそのまま東京に連れてきました。

その年から数年、僕は音楽をしておらず、やがて流行するだろうと踏んで、WEB関連の製作や開発を勉強しつつ、商売にしていました。まだ庶民の手にWindows 95が行き渡る前ですから、WEBクリエイタなどという言葉も無い頃です。

東京に連れてきた猫があまりに可愛いものだから、本来は犬派の嫁さんが猫にハマり、1996年6月にWEB作りの勉強を兼ねて、ホームページを作り始めました。半年くらいは更新していたようですが、後述する理由で1999年には閉鎖しました。

なんと、そのデータを発見しましたので、アーカイブとしてアップロードしました。今見ると、まだインターネットエキスプローラもリリースされる前の原始的なHTMLソース記述とデザインですが、今でもこの程度のWEBを公式サイトなどと謳っている企業やミュージシャンが居ますから、当時と現在の両方を知るものとしては笑ってしまいます。

1996年6月設置のニャンコ先生のページはこちらから御覧ください!

1999年2月、当時東京にも恵方巻きの風習が伝えられていましたが、最後に恵方巻き食ったのが今から20年前のその時でした。その時一緒に恵方向いてカリカリ食った猫は数日後行方不明になりました。二週間探しまわり、近所の証言で二週間前に某家の庭で倒れていて東京都清掃局送りというのが分かりました。

実は近所の噂では、その某家は変わり者で、手当たり次第に猫を毒殺しているということでした。某家に伺うと、うちの猫の真新しい首輪を持って居られました。たぶん、首輪を着けた亡骸は清掃局が受け取らないので外したのでしょう。噂を頼りに某家を責めるわけにいかず、猫が好きだったチューリップの鉢植えを、猫が倒れていたという場所に置かせてもらいました。それから数年後、某家主人は亡くなったらしく、家は荒れ放題でしたが、チューリップが毎年咲くのが塀の外から見えました。2007年、転居のためにその街を離れましたが、風の便りに聞くところによると、主人亡き某家は崩れ落ち、今は更地になっているそうです。チューリップの鉢植えがどうなったか気になるところです。

20年後の命日、川崎市の山の中にある東京都清掃局が建てている合同墓に参ってきました。

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