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かなり現在のジプシージャズに近い演奏やルーツと感じられる演奏が、1960年代にフランスで行われていたということ、しかしながら、1980年代終わり頃まで、ジプシージャズという言葉も音楽ジャンルの呼称も無かったということを、前回書きました。
Django ReinhardtとStephane Grappelliが最後に一緒に演奏したのは1949年2月頃ですが、その後1953年5月にDjangoが没してから、フランス国内で戦前のDjango & Stephane風の演奏を行ったのは、Ferret兄弟、Joseph Reinhardt、Henri Crolla達くらいで、Henri Crolla以外はミュゼット音楽やジプシー旋律を取り込み、Django & Stephaneのホットジャズ的な要素は薄れました。
しかしながら驚くべきことに、お隣の英国ではDjango没後数年で、往年のフランスホットクラブ五重奏団の再現と思われるような演奏をするグループが現れます。戦前、フランスホットクラブ五重奏団は英国ツアーを何度も行っていましたから、ファンや在野のフォロワーがかなり居たのだと考えられます。
イギリス人ギタリストDiz Disleyは元々ニューオリンズスタイルのトラッドジャズバンドでバンジョーを弾いていましたが、1956年にロンドンでバイオリン、ギター、コントラバスで編成されたカルテットを結成します。そして、フランスホットクラブ五重奏団のデッドコピーでは無いかと思わされる演奏をします。荒削りではありますが、まさにホットジャズと言うような演奏をするバンドは、フランスではすでに無くなっていました。英国にそれが保存されたことは特筆すべき点です。
Diz Disley and his String Quartet、1958年の録音。
自然の流れですが、Diz Disleyの活動はStephane Grappelliの知るところとなり、1970年前後にはStephane GrappelliはパーマネントでDiz Disley Trioと一緒に演奏するようになります。共演したアルバムが何枚もリリースされました。
1975年3月録音の名盤「Violinspiration」の一曲目。
もちろんジプシージャズという言葉が無い頃ですし、ジャンルとしても成立していませんので、Diz Disleyの演奏はジプシージャズではありませんが、結果的に最もDjango & Stephaneに近い立ち位置に居たことになります。
不勉強で大変申し訳なく思いますが、Schnuckenack Reinhardtはジプシー出身のドイツのバイオリニストです。彼のドキュメンタリを観る限り、戦後かなり早い時期からジプシー楽団を組んで各地で演奏していたようです。ジャズバンドではありませんが、レパートリーにはジプシー由来の古典から、スイングするホットジャズまで含まれていたようです。レコードデビューはかなり遅く40歳も回った1968年ですが、Stephane Grappelliが自身のアイドルでもあると語っているように、デビュー・アルバムで聴ける音は完全に往年のフランスホットクラブ五重奏団風のサウンドになっています。
Schnuckenack Reinhardt Quintettのデビュー・アルバムから。
Schnuckenack Reinhardtの重要なポイントは、ファンが語るところのドイツジプシーのミュージシャン人脈を育てたことにあります。やはりジプシージャズという言葉の無い時代ですが、後にジプシージャズのギタリストとして知られるようになる若手ギタリストをバンドに登用しました。最近若くして亡くなったHäns’che Weissや、バイオリンも弾くMartin Weissらのドイツ系ジプシージャズ・ミュージシャンはSchnuckenack Reinhardtの門下です。その人脈はLulu ReinhardtやTiti Weinsteinらに繋がりますので、Schnuckenack Reinhardtは現代のジプシージャズ成立の一翼を担った存在でもあると考えます。
1991年のHäns’che Weiss Ensemble。
すでにジプシージャズという音楽カテゴリーが認知され始めてからのことになりますが、ノルウェーのギタリストJon Larsenがジプシー色の無いHenri Crolla風の演奏で現れます。彼の功績は、1980年代最初から自身のバンドHot Club de NorvègeでDjango & Stephaneのホットジャズを啓蒙したことはもちろんとして、自身のレーベルHot Clubレコードで、忘れ去られた巨人であったMatelo FerretやBaro Ferretを再度取り上げたり、ジプシージャズ・ファンがスルーしていたフランス以外の歴史的ギタリスト、例えばノルウェーのRobert Normannのような巨人の音源を体系的に纏めてリリースしたことです。また、新人であったJimmy RosenbergやAndreas Obergらをプロデュースしたことは、今日のジプシージャズ興隆の一翼を担いました。Larsen自身によって、Youtube上でHot Clubレーベルの過去のアルバムがたくさんコンプリートで公開されていますので聴いてみてください。
Django Reinhardtの息子、Babik Reinhardtは1970年代にはジャズ・ギタリストとしてメジャーからデビューしていました。デビュー当時の演奏は、Djangoの楽曲をソースにしながらも、電気ギターを弾いて70年代風のジャズに仕上げていました。亡くなる寸前に演奏がモダンジャズ化していた父Djangoの遺志を継ぐかのようなサウンドでした。音だけを聴くと、Djangoの息子だとは想像もつかないジプシー色ゼロのモダンなギターです。その後、70年代のジャズ・ギタリストの全てがそうであったようにフュージョン方面の演奏へシフトしました。なので、現代のジプシージャズ・ファンからはスルーされているような感じですが、1990年代末にリリースした「New Quintet du Hot Club de France」というアルバムでは、今をときめく後進ギタリストのRomaneやバイオリンのFlorin Niculescuらと共に、ジャズサイドから解釈したジプシージャズの素晴らしい演奏を聴かせてくれます。
1998年リリースの「New Quintet du Hot Club de France」から。
ジャズサイドでジプシーのハートを持ちながらずっと活動しているギタリストChristian EscoudeもBabikと同系列のギタリストと言えます。Babikの息子、つまりDjangoの孫であるDavid Reinhardtもまた同系列です。このChristian EscoudeとDavid Reinhardtは昨今一緒に演奏しているようです。
Victoires du Jazz 2010から。
1920年代終わりにアルゼンチン、ブエノスアイレスで職業としてギターを弾き始め、その後すぐ渡仏し、Josephine Bakerのバックバンドのバンマスとして頭角を現し、Django Reinhardtと親交を得、欧州大戦勃発後はアルゼンチンに逃げ帰り、Django & Stephaneのホットジャズをベースにした独自のラテンホットジャズを演奏しました。詳しくは以前のポストを読んでみてください。
ミュージシャンが何を演奏したいのか?
ジャズを演奏したかった時代と、ジプシーの先輩が演奏しているそれを演奏したい現代に分かれると思います。後者のミュージシャンが演奏するのがジプシージャズですね。
いずれにせよ、タキシードやスーツを着なくなった頃からがジプシージャズなのでは無いかと思うようになりました。
[…] 続く! […]
2016/09/28 Wed 01:05[…] Previous Post ◀ […]
2016/09/29 Thu 12:49