Category :: Bluegrass Music

25年前Update : 2005/03/17 Thu 01:16

25年程前、僕はテンプラ学生でした。(プー太郎とも言います)生き甲斐はブルーグラスを演奏することで、それ以外のことは一切だめでしたが、多少でもブルーグラスに関係していれば、いろいろなことをやっていました。

25年程前は、全国の大学にブルーグラスのバンドがありました。東京や大阪の大学では、大学にブルーグラスのクラブがあって、バンドが5個も6個もあるということが珍しくありませんでした。僕の居た関西大学ブルーグラス同好会はピーク時で部員が50人を超していたのではなかったでしょうか。一回だけ東京に遠征して、東京の学生ブルーグラス連合とも呼べるユニグラスの集会というのに行きましたが、大きな講堂が満席で、何百人も学生ブルーグラス・プレイヤーが参集している様子は圧巻でした。東京大学にまでブルーグラス・バンドがあったんですからね、今考えると、あの頃の盛り上がりは一体なんだったんだろうと思います。この時に知り合った何人かの人達とは、いまでも東京でお付き合いがあります。昔から、遠くの親戚よりも近くの友人と言います。学生時代の友人は一生ものだと思います。

当時の先輩であった社会人プレイヤーの皆さんは、すでに70年代中頃からバンドで活躍されており、当時は学生から見るとスターのような存在でした。団塊の世代ですから、今や皆さん50代半ばながら、まだまだ現役でプレイなさっています。特に東京の現在のシーンでは、この世代が一番ホットではないでしょうか。
関西では、関大・関学・立命・同志社・神戸大・追手門・大商大あたりがブルーグラス人口の多い大学でした。東京に見習って、学生連合の集会も数回あったと思います。特に関大と関学は、スポーツ等で関々戦を行って交流の多い関係でしたから、ブルーグラス・プレイヤーも機会があれば行き来していました。電車で1時間以上かかるのに、あの頃は時間がたっぷりあったのだと、今は感じます。

僕のやってたバンドのフィドラーが関学だった(20年くらい会ってないけど黒沢君元気にしていますか?読んでたらメールください。)ので、一度、関学のクラブの春合宿(小豆島)にバンドでお邪魔したことがあります。関学はチャペルのあるアーメン系の大学なんですが、ブルーグラスのクラブ内でも洗礼の儀式というものがあって、一体何をするのかは未だ分かりませんが、合宿になると下級生は恐怖におののいていたようです。

その関学のクラブが合宿する民宿を、実は関大のクラブも利用していました。ですから、その年の春は2度も小豆島に行ったことになります。ほんとに時間が有り余っていたんですね。

僕の2つ下くらいの年代からは妙にドライになって、大学間の交流などはあまり聞こえてきませんでした。また、現在まで演奏を継続している人もかなり少ないです。70年代のクレイジーな文化を浴びたか浴びていないかで、世代の溝があるようです。僕の年代ともう少し上の年代、そして前述の団塊の世代は、20年も30年も相変わらずの交流を続けています。インターネットのおかげで、その交流も時空を超えて、萎えることがありません。あと何年こういう暮らしができるのか、ちょっと不安になる時もあります。

合宿はもう永遠に無いかもしれませんが、また今年もフェスで遊びましょう。昔のなかまへ。

▼ Comments for this post

From : 大阪ブルーグラス事情   Date : 2005/03/17 07:55

春合宿

 この季節になると思い出すのはブルーグラス系サークルの春合宿です。

▼ Comment form