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昨夜の晩酌はハリハリ鍋でした。最近は偽物のハリハリ鍋が幅を利かしているようですが、まぎれもない本物のハリハリ鍋をいただきました。
ところで、ハリハリ鍋を知らない人はいますか?知らない人はGoogleで検索してから、ここを読んで下さいね。
鴨だの豚肉だのマグロだの言うのは、ハリハリ鍋の具ではありません。ハリハリ鍋といえば「鯨」です。筋が多く、お世辞にも柔らかいとは言えない鯨肉を、口に無理無く入るくらいの大きさに切って、片栗粉をまぶし軽く湯通ししたのが、ハリハリ鍋の具です。それ以外の肉を使ったものはハリハリ鍋ではありません。そして、鴨鍋には葱というように、鯨には水菜です。鯨肉と水菜だけを割り下(濃いめのカツオ出汁に味醂と薄口醤油を合わせたもの)で煮るのが本物です。割り下も味を薄めにするのが関西流です。すき焼きも鴨鍋もその薄めの割り下でいただきます。味が薄いなと思ったら、手元で七味や柚胡椒を足せば、関西人以外でもOKでしょう。鍋のツユが濃いのは下品です。
最近は冬場でも水菜を東京で買うことができますし、なんとサラダの具にまでしてしまいます。でも、ちょっと違うんです。僕なんかが子供の頃に食べた水菜は、夏場だけですし、とても苦くて生で食べるなんて考えられませんでした。雑草とどこが違うのか親に聞いたくらいです。あの水菜はどこへ行ったのでしょう?まだ買えるのでしょうか?
鯨と言えば、今や高級食材ですが、子供の頃は、牛肉はともかくとして、豚も鶏も買えない貧乏人が食べる最低の肉でした。もしかしたら、ホルモンより安かったかもしれません。そして、血の気の多い、筋張った臭いマズイ肉で、晩御飯に鯨が登場するだけで、子供心にブルーになったものです。また、給食にも手を替え、品を替え鯨料理が登場しました。僕らは鯨世代です。大学(関大)に入って、正門すぐ左にあった西村食堂の鯨カツ定食は180円で食べることができました。苦学生にはありがたい食材でもありました。
ですから、大阪の長屋育ちの僕は、子供の頃にハリハリ鍋を512回以上は食べたと思います。512回というと少なく聴こえますが、物心ついてからの10年3650日のうちの512回ですから、誇張すれば1週間に1回は食べていたということになります。記憶を辿ると、タダ同然の菜っ葉(水菜)と、これでも肉の値段かと言うような鯨で作れるハリハリ鍋は貧乏所帯の定番だったようです。またその記憶の中では、鯨に片栗粉の衣が無かったのです。ですから、鍋は鯨のアクだらけですし、とても臭かったのを覚えています。貧乏人は手間を惜しんだのでしょうか。おまけに水菜は苦いし、噛み切れないくらい筋がありました。今思うと悲しい食生活でした。そこそこ大人になって禁漁後に、懐かしさでハリハリ鍋を料理屋で食べて、長屋で食べたのとは違うと思いました。片栗粉の衣は、鯨をスマートに食べるための大阪人の知恵だったようです。
ここ数年、東京のスーパーでは、鯨肉が安物の牛肉程度の値段で売られていることがしばしばあります。調査捕鯨のおこぼれのようですが、さすが江戸っ子、煮付けかカツレツ、ステーキ(生姜焼き)のような料理しかないのでしょう。鯨肉を美味しく食べる習慣がないようで、売れ行きがよくありません。我が家は、そういう鯨肉のパックを見つけたら、並んでいるだけ買って帰り、冷凍庫に保管します。そして、1年のうちに何度も、こうやってハリハリ鍋をやるわけです。でも、最初に書いたけど、水菜が違いますね。昔の味にはなりません。