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音楽を軸に自分の過去について曖昧な記憶から時系列に忘備録を書きはじめたらデスマーチ状態で、いつ書き終えることができるのか自信が無くなりました。1980年代後半はそれまでに増して記憶が怪しいので不確かな記述が多くなりますが、誤認識をご指摘賜れば幸いです。
記憶が曖昧なので人名はほとんど忘れましたが、文中の人名は実名です。曖昧な記憶の中でも強烈に覚えてるという証です。フルネームで書きませんのでご容赦ください。
実のところ、これまでの忘備録は、残された実況録音テープの日付をガイドに音楽活動を時系列に整理できたのですが、なんと26歳の年(1986年)は録音が一切残っていません。何をやっていたのか思い出せないのですが、フルタイムで演奏仕事をしていたことは間違いなさそうです。
ギター僕、マンドリン秋元さん、フィドル赤澤くんによる毎週末の江坂カーニバルプラザでの演奏はまず、滞り無くやったと思います。カーニバルプラザのレギュラーバンドThe Carnivalsの他所での営業にバンジョーで呼ばれることもたまに有ったと思います。
そして、この年は、交野市津田のレストラン・フェストでの演奏も始めました。初めてフェストに行った時のメンバーは、バンジョー僕、クラリネット滝川くん、トロンボーン田辺くんでした。全員がトラみたいなこの仕事が成立したのはバブル期ならではと思います。フェストはカーニバルプラザの営業的成功を知っててバンドを是非雇いたかったようです。
フェストにバンドを仕込んでいたのは以前からお世話になっているSouth Side Jazz Bandの事務所でした。その事務所に見習いのように若いクラリネット吹き小嶋くんが入り、フェストや事務所仕切りの催事仕事で顔をよく会わすようになりました。
その事務所とは別の神戸の事務所の仕事でぬいぐるみショーやディキシーのマーチングの演奏をよくやりました。現場は車で日帰りできるギリギリの遠方が多かったです。
夏の宝塚ブルーグラスフェスティバルは、クラリネット小嶋くん、トロンボーン田辺くんとのトリオによる有馬温泉の営業仕事とかぶっていて、初日有馬温泉で演奏し、夕方終演後三田アスレチックに向かい、夜はブルーグラスフェスを楽しんで夜明けから午前中に少し寝て、またその足で有馬温泉に向かって午後からディキシーの演奏をして終演後にまたフェスに向かうということを2日間やりました。なので、ブルーグラス用のバンジョーでディキシーの演奏もしました。日曜日はさすがに有馬温泉からフェスには寄らずに直帰しました。若かった時の体力が分かるエピソードです。
相変わらず、リハーサル専門のロックバンドは月に2度ほどスタジオに数時間籠って練習していました。ロックバンド結成時に購入したTOKAIのテレキャスターに、自作のBベンダー(ストリングベンダー)を仕込んだのもこの頃です。自作なので工夫をこらし、2弦と3弦を別々にコントロールできるようにしました。
このように、1986年は他にこれといった印象的な記憶が無い1年でした。次の年(27歳・1987年)も同じく実況録音がなく記憶が薄い年ですが、いくつか印象深く覚えていることがあります。まず、泉南のマンドリン弾き村上さんが引っ張るThe Southern Trainというバンドのアルバム録音にお付き合いさせていただいたことです。
The Southern Trainは黒人由来のブルースやトラッドをブルーグラスの楽器編成で演奏するブルースバンドと言うのが分かりやすいでしょうか。ただ、メンバーはブルーグラス・ミュージシャンとしてもエキスパートなので、非常にユニークなサウンドで演奏します。実は僕もこのバンドのメンバーだったのですが、ブルース曲を気持ちよく演奏する(聴く)にはバンジョーは邪魔だし、ブルースバンドのソロ楽器は一つで良いと思ったので、少し前にお暇を頂いたのでした。それにも関わらず、アルバム録音にあたり、バンジョーがフィットする曲だけ参加しないかとのオファーを頂いたので喜んで参加させていただきました。録音メンバーは村上さんの他に、ギター中井くん、ベース渥美くんという僕の大学時代からの盟友、そしてブルースハープのベテラン川上さんです。
アルバムはその年の内に録音を終えて翌年にトラックダウン〜マスタリングし、カセットテープでリリースしました。永らく廃盤になっていましたが、2003年に僕がデジタル・リマスタリングをしてCDでリイシューされました。(手前味噌ですし、語られることの少ないアルバムですが、世界に誇れるユニークなアコースティックミュージックになっていると思います。)
The Southern Trainの録音では、僕のバンジョーに取り付けたストリングベンダー(正しくはパームペダル)が大活躍しました。自分で図面を書いて北区の川口さんの工場で組み上げたものです。機能優先でヘビーデューティーになってしまい、今は装着していませんが、改良型を作れる機会があれば、再装着したいガジェットです。
その頃の仕事としては、江坂のカーニバルプラザでの週一のブルーグラス演奏、カーニバルプラザレギュラーバンドの月一回程度のバンジョーのトラ、月に数回の交野フェストでのディキシー演奏、その他催事やパレードでのディキシー演奏の合間に、バンジョーやギターのレッスンをしていました。適当に忙しかったようです。
この1987年の夏、神戸の方のウエスタン調ビアガーデンでブルーグラスの演奏をする依頼がありました。メンバーはバンジョー僕、マンドリン宮崎くん、ギター松本くん、ベース植田くんで、集まってみて全員がトラだということが分かりました。全員がトラの割にそこそこまともな演奏をしましたし、全員フルタイムで演奏できる身分だということで、このままバンドとして仕事をいろいろ取っていこうということになりました。トラのミュージシャンのバンドだというのでTiger Catsと命名し、数回リハーサルして京都で宣伝用の写真をドブロの柴田くんに撮ってもらいました。本当はフィドルで木下くんが加入しましたが、撮影時に来れないということで柴田くんがフィドラーとして写っています。
Tiger Catsは植田くんがリーダーとして結成したバンドなのに、仕事を取る前に一番先に植田くんが辞めてしまいました。事務所関係に宣材を撒いて営業していましたし、乗りかかった船なので代わりのベースマンを急いで探しました。東奔西走した末、僕がロックバンドの練習でよく出入りしていた吹田のSTUDIO YOUでよく顔を合わし、ブルーグラスが好きだという若いエレキベーシストの藤原くんをスカウトして体勢を立て直しました。藤原くんは音響の学校の出身でもあり、バンジョーも弾き、実は宝塚ブルーグラスフェスに良く来ていてPAの手伝いをしていたそうです。
バンジョー僕、マンドリン宮崎くん、ギター松本くん、ベース藤原くん、フィドル木下くんで再出発したTiger Catsは、全員がプラグインするブルーグラスバンドとしてロックのリズムとコーラスを取り入れ、ライブも行わずに人知れずリハーサルを重ねました。
28歳の年(1988年)は、予てから発売が予告されていたCASIOの音源内臓シンセギターを大枚20万円超を払って買うところから始まりました。数年前からYAMAHAのDX-7やROLANDのD-10などのMIDIシンセサイザーの音を聴いて、電子音だけではなく、かなり生音の真似ができるようになったシンセサイザーに興味を持っていました。CASIOのギターはその音をギターで出せるということなので、まずはロックバンドのリハーサルで実力の程を試し、けっこう使えるということが分かりました。キーボードを弾けない僕にとってはかなり力強い味方だと思いました。実際、ギター内蔵のMIDI機能を使って、スタジオに置いてあるサンプラーやシンセの高級機種を同期させて鳴らした時に、大変感動したのを覚えています。
クラリネットの小嶋くんとピアノの吉井くんがよくリハーサルセッションをやっていたらしく、一度セッションに誘われました。実はちょっとしたエイギョウの演奏があるので付き合ってほしいということでした。二人のおしゃれな演奏にはバンジョーは似合わないと思い、先日仕入れた仕入れたシンセギターでバイブの音を出してみることにしました。ジャズ的には大失敗でしたが、バイブみたいな音なのにプレイがギターなので、音楽的には面白い試みだと思いました。
Tiger Catsの方はリハを重ねて、バンドとしてかなりおもしろいところまで出来上がってきましたが、マンドリンの宮崎くんの入院で、この年も活動らしい活動はしていません。宮崎くんが居ない間も残った4人でリハを続けて、リズム面やコーラスの研究を行いました。
数年間、空いた時間(というよりほぼ毎日の数時間)は自転車ロードのトレーニングをやってましたが、演奏中にランナーズハイのような状態になってプロの先輩方に叱られることが何度か有り、この頃にはトレーニングを辞めてしまいました。
夏頃だったと記憶していますが、ちんどん通信社(現・東西屋)というところから連絡があって、三田のニチイでディキシージャズの演奏をするからバンジョーで手伝って欲しいとのことでした。その名の通り、普段はチンドン屋さんとして仕事をされているのですが、その頃、催事の内容によってはディキシースタイルの演奏をしているということでした。社長の林さんは大学ではニューオリンズ・ジャズをやっていたのがどういうわけか途中でチンドンの研究になってしまったらしいです。ちんどん通信社ご一行は交通事情で入り時間が遅く、僕一人が先乗りして現場控室で控えていました。初めてのお仕事でそういう状況だったので心配で仕方ありませんでしたが、なんとか音出しまでに全員揃いました。そういう事情で打ち合わせ無しで合奏しましたが、演奏の上手い下手は別として、聴く限り完全なニューオリンズスタイルでの演奏はチンドン屋さんとは思えませんでした。トランペット林さん、クラリネット小林さん、ドラム川口くん、バンジョー僕という編成で楽しく演奏させていただきました。このバンドはRagtime Kidsというバンド名で、僕はこの後、数年ほどご一緒させていただき、公私共にちんどん通信社さんにお世話になりました。
この年から、夏の宝塚ブルーグラスフェスティバルは三田市の柴田牧場に会場が変わったと記憶しています。この年は風の強い谷底にステージがありました。たしか僕は木曜日の昼間だけ参加したと思います。
この秋、9月10日には、クラリネットの小嶋くんが自分名義で手打ちのライブをすることになり、ライブハウスの神戸Goodmanにてサポートを頼まれました。バンジョー僕、クラリネット小嶋くん、トロンボーン田辺くん、チューバ古関くん、ドラム東くんというメンバーで関西のディキシーではあまり聴かないような演奏をしました。小嶋くんは東京で藤家虹二さんに師事したということですので、関東風の仕掛けが書き譜で組み込まれたようなディキシーが好きなようでした。ディキシー系の曲はテナーバンジョー、スイング系の曲はギターバンジョーという具合に楽器を持ち替え、僕は僕のやり方でお付き合いさせていただきました。
この後、突然小嶋くんは東京へ帰ってしまいました。小嶋くんの信望する東京式ディキシーが大阪にも根付こうとしていたのに、今考えると残念でした。
(続く)