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マカフェリギターの弦の話。
[写真はイメージです。本記事とは関係ありあせん。]
ニッチなジャンルなので、本音のポストをすると楽器屋さんに迷惑が掛かるかもしれないので、弦選びのポイントのみを書かせていただきます。
僕が加入している現在進行形のバンドのことは、ライブのお知らせ以外は滅多にブログには書きません。たぶんこの記事が初めてのポストになると思います。
ちょっと考えることがあって、現在日本屈指のジプシー・ジャズ・バンドのことを文章にしておきたいと思います。
ここでお話する、Yellow Django Revivalは、いわゆるジプシージャズという音楽を演奏するクインテットで、僕がバンマスみたいなことをさせて頂いております。
初ステージは2003年5月24日ですからもう10年以上活動を続けていることになります。その初ステージは、富士山麓の朝霧高原で行われたブルーグラス・フェスティバルでした。当時、僕は関東圏のブルーグラス・フェスのほとんどに顔を出していましたから、その流れで、メンバーが揃ったから出てみようというようなノリだったと思います。かなり遠い記憶ですが、その前の年からリハーサルを何回か行ってて、ようやくバンドの体裁になったというような感じだったと思います。しかしながら、初ステージ時の編成はギター×2+ベースのトリオでした。僕の他、網代直隆くん(guitar)と手島昭英さん(guitar)というトリオでしたが、この二人は現在一緒にやっていません。僕しかオリジナルメンバーは残っていないことになります。
バンド名のYellow Django Revivalは、1980年代に国民的音楽ヒーローになったY.M.O.から日本人を象徴する言葉としてYellow、ジプシージャズギタースタイルの嚆矢Django ReinhardtからDjango、そして先進的なブルーグラスを演奏したNew Grass RevivalやアメリカンロックのC.C.R.からRevivalを頂いて、僕が思いつきで付けた名前です。この名前をこんなに長い間使うとは思いませんでしたが、行きがかり上、僕がこの名前を使うのをやめない限りバンドの解散は無いということになります。
ここ数年、1月と7月に行われる新潟ジャズストリートに参加させて頂いて、新潟のブルーグラッサーの皆さんと親しくさせて頂いてます。コミュニティにはいろいろなことがあるのでしょうけれど、そういうことは全てスルーさせて頂いて厚かましくも毎度お邪魔させて頂いております。
新潟県は南北に長い県ですし佐渡ヶ島の面積の割合も小さく有りません。気候風土も東西南北でかなり違うようですし、新潟のブルーグラスバンドと言っても、全てのバンドが新潟市にあるわけではなく、県下に散在しています。
新潟ジャズストリートや他の県下のイベントでは、その散在したバンドが一同に会することも珍しくありません。幸運にも僕なんかはジャズストリートで一同に会したバンドを全て聴ける機会を持てました。
ですが、県外や関東関西のブルーグラス・コミュニティとは接触の機会が少ないのだろうなと予想してて、機会が有ったら他の場所でも演奏してみてはどうかなどと、酒席で要らぬ提案をしたこともありました。
その彼ら、新潟のブルーグラスバンドが4バンド大挙して上京し、11月23日に銀座でライブをすることが決定したと言うでは有りませんか!!毎度新潟でお世話になっている身としましては全身全霊応援しないわけにはいきません。
詳細は現状未定だと思いますが、来演の4バンドについて、(私見で勝手に)紹介したいと思います。
急遽ギターのトラでお座敷が掛かりました。行ってきます。
写真は5月に新宿銅鑼でご一緒した時。
昭和37年〜昭和44年ごろ、大阪府豊中市大黒町というダウンタウンに住んだことがあります。3歳から9歳の頃です。なぜか、その頃の記憶が強く残っています。
そのあたりは、阪急宝塚線庄内駅・三国駅と阪急神戸線神崎川駅を頂点とした三角形の真ん中あたりにあって、風向きによっては、当時汚水路になっていた神崎川の悪臭が、風通しの良い長屋の食卓にまで漂ってきました。僕らの街は川っぷちという歌もありましたが、そこは町工場も多く、金属が焼けたような臭いも町に染み付いていました。ドブ川は毎日水面の色が変わりました。