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アフリカの民族楽器を祖に、北アメリカで現代的に進化した、バンジョーと言う楽器が完成した時代は、フォスターの歌曲が作曲された頃と同時代である。当然そういった民謡調の歌曲や民謡の伴奏に重宝されたであろう。そういった時代は約50年間続く。ヨーロッパからやってきたフィドル(バイオリン)が、一般白人に最も親しまれた楽器であったが、習得が難しかったために、バンジョーの方に人気が移行したと考えることは想像に難くない。1800年代後半には、手工業ではあるが、量産メーカーも出現した。20世紀初頭にはバンジョーを古典楽器として評価する動きがあった。Vess L. OssmanやFred Van Epsといった演奏家がクラシック音楽を演奏しようと試みた。ちょうどエジソンがロウ管式蓄音機を発明した頃なので当時の録音や写真は幸いにも残っている。
1900年代初頭には、軍港として栄えたニューオリンズで、黒人が新しい音楽を生み出した。初期のニューオリンズジャズでは、バンジョーよりも、むしろギターでリズムセクションを担当することの方が多かったようだが、音量的なメリットもあって、徐々にギターバンジョーにコンバートするプレイヤーが増えた。1920年代には、ジャズ音楽が北部の白人の間でダンス音楽として流行したのをきっかけに、バンジョーは音が大きいため、本格的にリズム楽器としてジャズ・バンドで重宝されるようになる。折しも、北部ではマンドリン楽団ブームが去った後で、職を失ったマンドリン演奏家達はバンジョーに持ち換えることによって再び演奏に返り咲いた。そのときに流行したのが4弦バンジョー(テナー・バンジョー)である。4弦バンジョーはマンドリン演奏家の要望に答えて短いネック(棹)とマンドリンに似た調弦を採用した楽器である。また、ギターバンジョーはあまりに無骨なサウンドであるために、ギター演奏家が使用を嫌ったため、4弦でありながら、ギター的な調弦をするプレクトラム・バンジョーも一般的になる。プレクトラム・バンジョーは、前述の20世紀初頭にクラシック的に使われた楽器と同じ調弦であることも、北部の演奏家に受け入れられた要因であろう。1930年代にはジャズ音楽の大流行とともに各楽器メーカーはこぞって絢爛豪華なバンジョーを発売した。現在でも名器と呼ばれるバンジョーはその頃に作られたものだ。
黒人の踊り子であったジョセフィン・ベーカーが、人種差別を嫌い、単身パリに渡って人気者になったのと同じ頃、バンジョーはヨーロッパ各地にも輸出され、様々な音楽に取り入れられた。それらは、主にギターバンジョーであったようだ。1930年代に、ギターで初めて本格的なジャズ・インプロビゼーションを行なったジャンゴ・ラインハルトも、若き日はギターバンジョーでアコーディオンの伴奏(ミュゼット音楽)をしていた。
ジャズや当時のダンス音楽での華々しいバンジョーの活躍の陰で、本来の5弦バンジョーは、アパラチア山中で生き延びた。フィドルと対になったその土臭い奏法とサウンドも、1920年代終わり頃にはラジオの普及と相まって、山の中から南部の町に降りてきた。それに伴い、プロフェッショナル用途の5弦バンジョーのニーズも少し出たようだ。楽器メーカーは、4弦バンジョーの開発で仕入れたノウハウを5弦バンジョーにフィードバックし、現在主流となっている構造を完成させた。特にGibsonのMastertoneシリーズは、現在でも5弦バンジョーの定番である。
残念ながら1940年代には電気ギターやスウィング・ジャズの興隆と共にバンジョーは人々から忘れられて行った。先の大戦もあり、当然楽器メーカーはバンジョーの発売をやめて行く。戦後1940年代終わりに、Earl Scruggsという天才演奏家が新しい奏法と音楽(ブルーグラス)を引っ提げての活躍で、再びバンジョーは日の目を見ることになる。Earl Scruggsの演奏は、先にGibsonが完成させた5弦のMastertoneバンジョーのサウンドと一体化し、現在聴かれるバンジョー奏法そのものであった。また、1950年代終わり頃からは、ブルーグラスとは別に、Pete Seeger達が、民謡復興(フーテナニー)ブームの中でフォークギターとならぶ伴奏楽器としてバンジョーを学生達の間に流行させた。1960年代のモダンフォーク流行時には、北部のフォーク・グループには、必ずと言って良いほどバンジョー奏者が加わっていた。しかしながら、それもまたビートルズの出現で忘れられてしまうことになる。ビートルズ自体も少年時代はスキッフル(アメリカのヒルビリーやフォークをジャグバンド風に演奏するイギリスの音楽)をやっていた言うから皮肉な話である。
しかし、1960年代後半から70年代には、ブルーグラス音楽は若者の支持を得て優秀なバンジョー・プレイヤーを続々輩出することになり、1990年代にはBela Fleckという若い天才演奏家が、コンテンポラリーなジャズにおいて無理なくバンジョーを演奏することに成功した。Bela Fleckの音楽は全米的に注目を浴び、バンジョーという楽器を再びジャーナリズムの中で認知させ、現在に至っている。