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大阪の梅田ナカイ楽器が2019年9月30日で閉店するというニュースを今日聞きました。この楽器店が無かったら、今の僕は無かったことでしょう。9月30日ということは、まだ2ヶ月は営業されるわけですが、この機会に僕なりの謝辞をここに記したいと思います。
僕がバンジョーと出会った時のことを6年前に記しましたが、それは中学生の時で、バンジョーという楽器に惹かれても楽器が無く、先行して教則本を手に入れ、ギターをバンジョーの調弦にして最初の一歩を踏み出しました。小遣いが貯まれば、国鉄吹田駅前の旭通商店街にあったスーパー・サカエ2階のレコード屋の壁に吊ってあった、ピアレス製20000円のバンジョーを買いたいと思い、暇があればその場所に行って楽器を見つめる中学三年生でした。中学三年(1974年)といえば高校受験を控え、世間並みに受験勉強をしましたが、風のうわさで近所の関西大学にブルーグラスのクラブがあるというのを知り、志望校はその付属高校と決めました。併願で本命の公立高校よりも先に関西大学第一高校の合格が決まったので、公立の千里高校の受験は適当に失敗しました。
1975年3月、高校合格祝いにと予てから約束していたバンジョーを、梅田阪急三番街の梅田ナカイ楽器で父親に買ってもらいました。ピアレスの20000円で良かったのに、父親は見栄を張って55000円もした東海楽器のHummingbirdという楽器を買ってくれました。初めて触るバンジョーですが、お店での試奏の時に、She’ll Be Comin’ Round The Mountainを弾いたのを覚えてます。お店で接客してくださったのは、S水さんなのか、M本さんなのか記憶にありませんが、たいそう上手にバンジョーを弾いて聴かせてくださったのを憶えています。
高校生活が始まりましたが、バンジョーを手に入れてうれしくてうれしくて、授業が終わったら一番早い電車に間に合わせるために走って駅に向かい、一刻でも早く家に帰ってバンジョーを弾く毎日でした。母親は絵に描いたような着道楽で、暇が有ったら梅田界隈の洋品店や生地屋を徘徊していましたが、ある日お伴した時、梅田の地下街に三番街とは別の小さな梅田ナカイ楽器を発見しました。その時から、毎月のお小遣いを貰ったら、そこに行ってBanjo Packageという月刊誌を買うようになりました。余裕が有る時はEarl Scruggsの教則本や他の楽器の教則本なども買っていました。また、梅田ナカイ楽器と東京のカワセ楽器がプロデュースしたGold Starというブランドのバンジョーがショーウインドウに飾られていて、羨望の的でした。あるとき、そのGold Starのネックだけを自分のTOKAI Hummingbirdに付けられないか相談したら、3万円でやってくれるとのことで、寿司屋のバイトで稼いだお金をつぎ込んでフラットヘッドのGold Starを手に入れました。(Gold Star自体も東海楽器のOEMだったようです)
高校3年生の夏、初めて宝塚ブルーグラスフェスティバルに参加しました。たぶん第7回だったと思います。梅田ナカイ楽器はフェスに小さな露店を出していました。バンジョーのブリッジやテイルピースをお土産に買ったことを記憶しています。ウメ地下に行けば普通に買えたのに、知らない山の中に知ったお店が出店しててうれしかったんでしょうね。
梅田界隈も景色が変わって、梅田グランドビルという高層ビルが元の阪急梅田駅の場所にできて、その最上階のひとつ下に梅田ナカイ楽器が出店しました。城田じゅんじと坂庭省悟のワークショップというのがそこであって、たしか行ったような記憶があります。
月に何度もウメ地下の梅田ナカイ楽器に通う変わった高校生も、無事大学に入りました。その頃、豊中の服部緑地の野外音楽堂で、梅田ナカイ楽器がブルーグラスコンサートを春と秋に主催していました。いつの頃か、僕なんかの大学のバンドも出演させて頂けるようになりました。また、梅田グランドビルの特設ステージでは、アマチュアのブルーグラスバンドが出演するミニコンサートを梅田ナカイ楽器が毎月主催していました。こちらも何度か出していただいたことがあります。
ブルーグラス関係の品揃えはありませんでしたが、阪急三番街北側のカッパ横丁にも梅田ナカイ楽器は電気楽器専門店を出店しました。S水さん(往年の名バンジョー奏者)が店長でいらっしゃったと記憶しています。また、少し遅れて阪急三番街店の並びに、梅田ナカイ楽器はレコード専門の店舗も出されました。この店舗に、僕は22歳の頃から1年以上通うことになります。当時、その店舗の事務所兼控室だった狭い部屋でバンジョー教室が毎週開催されていました。その先生の仕事を前任者から紹介されて承ったのです。梅田ナカイ楽器のバンジョー教室というと大阪では名門で、関学・清水さん〜関学・宮本さん〜神大・堀川さん〜同志社・酒井さん〜関学・村片さんが歴代の先生でした。そして僕もその末席に加えて頂いたわけです。
その後、僕は演奏仕事が多方面に渡るようになったので、ブルーグラスとは若干疎遠になりました。梅田ナカイ楽器さんにお世話になることも少なくなりましたが、それでも、梅田界隈で時間がある時はショーウインドウを覗いたり小物を購入したりしていました。今から23年前に東京に移住してからもそれは変わりませんが、こんな日が来ることは全く予想していませんでした。なんと悲しいことでしょう。
1970年代後半、梅田ナカイ楽器さんだけではなく、坂根楽器、ワルツ堂、国際楽器等々、大阪にはバンジョーやマンドリンの品定めができる楽器屋さんがたくさんありました。その中で唯一今日まで残った梅田ナカイ楽器さんに、僕個人(のみならずお世話になった友人も含めて)の感謝を文章にさせていただきました。
長い間ありがとうございました。