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75年前Update : 2014/06/02 Mon 12:34

今から75年前、1939年(昭和14年)は、僕の周辺の音楽にとって転機が訪れた年でした。

まず、日本では戦時体制移行のために昭和12年からレコード発売時の検閲がありましたが、翌昭和15年からレコード会社がジャズ系流行歌の発売を自粛しましたので、昭和14年は国内でジャズが戦前最高の盛り上がりを見せた年でした。

■1939年年9月20日録音 伊澤蘭子(松竹歌劇団)・唄/服部良一・編曲/コロムビア・オーケストラ・演奏

ジャズの本場米国では前年から参加していましたが、電気ギターのCharlie Christianが加わったBenny Goodmanのコンボのレコード録音がありました。

■1939年12月6日Waldorf-Astoria Hotel, N.Y.でのBenny Goodman Sextetの実況録音

ジャズだけではなく、南部のカントリー(ヒルビリー)方面でもこの年は変化の有った年です。1930年代はMonroe Brothersという兄弟デュオでヒットを飛ばしたマンドリンのBill Monroeがデュオを解散し、自身のバンドBlue Grass Boysを旗揚げした年でした。このバンドは後の1946年にブルーグラスという音楽を創りあげました。

■1940年10年7日 AtlantaでのBill Monroe and his Blue Grass Boys最初のレコーディング

ジョージア州アトランタで1920年代からストリングバンドでフィドルを弾いていたClayton McMichenは1930年代中頃に自身のバンドGeorgia Wildcatsを結成します。1939年に最後のセッションを行いましたが、電気楽器に頼らない南部スタイルのストリングバンドでソフトでポップなサウンドを確立しました。テキサス方面で流行っていたWestern Swingとはひと味違いました。

■1939年5月31日録音 Clayton McMichen’s Georgia Wildcats

1939年は欧州で戦争が始った年です。パリからロンドンに遠征していたDjango ReinhardtとStephane Grappelliは、遠征中にナチのポーランド侵攻を知り、急いでパリに帰ったDjangoと風邪でロンドンで寝込んだStephaneの生き別れがありました。

■1939年6月30日パリでのDjango Reinhardt Trioの録音

■1939年8月25日、Django ReinhardtとStéphane Grappelliのフランス・ホットクラブ五重奏団ロンドンでの録音。英国の歌手Beryl Davisがボーカル。

1939年の興味深い録音は、紹介しつくせないほどいくらでもあります。ご興味を持たれましたら、Youtubeなどで各自掘り返してごらんになることをお勧めします。

そういえば、GibsonのF穴ギターでカッタウェイ付きやらナチュラル塗装などを発売したのも1939年辺りです。フランスのセルマー社のマカフェリギターもこの年に全製品がモデルチェンジを果たして、ジプシージャズでお馴染みの有名なOホール・ジャズモデルがスタンダードになります。

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