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昨年はジャンゴ・ラインハルト没50周年ということで、ジャンゴが創り出した音楽にかかわり深い、ジプシージャズ(あるいは、ジプシースイング、マヌーシュスイング、ジャズ・マヌーシュも同義)という音楽ジャンルが、今、静かなブームだ。ジプシージャズのミュージシャン(ギタリスト)も、この機会に続々来日招聘され、新たなファンも増えたことと思う。我々、古くからのジャンゴ・フリークにとっては、うれしい状況になってきた。しかし僕にとって、いや、歴史上音楽上、ジプシージャズとジャンゴの音楽は、似て非なる音楽であることを書き留めておきたい。
ジャンゴがギターで演奏した音楽は、ジャズであった。ジャンゴがジャズを演奏した時代は、ジャズが最新のポップスであり、当時のジャンゴの存在は、今日のロック・ギタリストと同じだった。しかも、ギターでジャズを演奏し、自らがフロントラインでバンドをコントロールするということは、ジャズの歴史上、当時はかなり前衛であったと言える。つまり、かっこよかったのだ。
ジャズは、周知の通り、当時はアメリカ発の音楽だった。ジャズ・スターであったサッチモやシカゴアンズの語法をうまく取り入れ、最新のヒット曲を、前人未到のギター・リードで演奏したジャンゴの音楽は、本場アメリカのジャズに充分対抗できるだけの鮮烈なものだった。事実、アメリカのミュージシャンが渡仏し、ジャンゴと公式・非公式を問わず、かなり多くのセッションをしている。1930年代のアメリカでは、チャーリー・クリスチャンが見いだされる1938年頃まで、バンドを支配できるジャズ・ギタリストがまだ居なかったのだ。(もちろんソロを弾くギタリストはそれまでにも居たが、バンドやサウンドを支配するまでに至らなかったし、ジャンゴのようなホーンライクなソロは取れなかった。)
つまり、ジャンゴは、大西洋の東西を問わず、その時代の中の優れたジャズ・ミュージシャンであり、単なるジプシージャズ・ギタリストでは無かったということだ。彼は、ジプシーの出身であるだけで、彼がやったことは、他の名のあるジャズ・ミュージシャンが残した功績と同等に捉えなければならない。ジャンゴの演奏にかぎらず、当時のフランスのジャズは、ホットジャズと呼ばれていた。ジプシージャズではないのだ。
ジャンゴと言うと、ちょっと知った人なら、ステファン・グラッペリの名前や、バイオリンを擁し弦楽器ばかりで演奏した演奏を思い起こすだろう。しかし、ジャンゴが残した800曲超の録音では、バイオリンと共に演奏したテイク数は20%を超えない。ジャンゴの名からそのサウンドを思い浮かべる人は、この数字に驚くだろう。ジャンゴが残したほとんどの録音は、アメリカのジャズと同じ、管楽器やドラムスが加わった、今日で言うところのトラッド・ジャズなのだ。このことから、ジャンゴが、極めてノーマルなジャズ・イディオムを持って演奏していたことが分かる。また、ジャンゴは、ジャズそのものの進化に敏感だった。最新のジャズが、ディキシーからスイング、ビバップと形を変えて行くのに伴い、自らのギター・スタイルもそれに併せて、変化した。晩年の演奏は、まさにビバップであり、最初期にバップで成功したギタリストと言われるバーニー・ケッセルでさえ到達できていなかった、ホーンライクなプレイを残してる。あと半年生き長らえていれば、ディジー・ガレスピーとのツアーも実現していたらしい。
対して、現在、ジプシージャズと呼ばれるジャンルのミュージシャンは、「主に」バイオリンを加えた弦楽器だけの編成が中心で、音楽的にも、リズム的にもジャンゴ1930年代のサウンドを模倣しているに過ぎない。また、ジャンゴの演奏よりも、ジプシー由来の旋律が強調されている。ジャンゴが亡くなってから何十年も経っている現在、ジプシージャズのギタリストには、テクニック的にはかなりの進化が見られるが、ジャンゴのプレイに較べると、それはもはや冗長な曲弾きであり、ジャンゴが求めた、その時代のジャズとの協調・融和というものは見当たらない。ジプシージャズは、ジャズとは名ばかりで、もはや、ジャズというよりも、(或る地域のジプシーの)今日的な民俗音楽と言っても良いだろう。
ジプシージャズの中にも、例外的な活動をしている(した)ギタリストは居る。古くはアンリ・クローラ、最近ではビレリ・ラグレーンやロマーヌら、そしてジャンゴの忘れ形見であるバビク・ラインハルトだ。彼らは、ジャンゴのスタイルを継承するジャズ・ギタリストとして、普通のジャズを演奏した。(もちろん、需要があるジプシージャズの演奏もした。)ジャズ界で注目されるには至っていないが、ミュージシャンとしては当然の方向性を持っていた(る)。ギター・スタイルとして、世の中のジャズ評論家やリスナーに認知させるために、ジャンゴがせめて60代まで生きていてくれたらと、今は思う。ジャンゴ由来のギター・スタイルは、ジャズ界では余りにも評価が低い。評論家の無知がなせるところだ。(ジャンゴを最大に評価しているのは、カントリー界だということも付け加えておこう。)
さて、ジャンゴを聴かずに、いきなり、現在のジプシージャズを聴いてファンになった方々は、以上のことが理解できただろうか。理解して欲しい。できれば、ジャンゴの音源をたくさん聴いて、ジャンゴの偉大さを認識して欲しい。あきらかに、ジプシージャズとは一線を画すものだということが分かるだろう。
ジャンゴの音源をこれから集めようというのだったら、悩む必要は無い。このページにあるアルバムを全部集めれば、他のどんなアルバムも買う必要は無い。ジャンゴが残し、紛失されていない音源が、全て年代順に収められている。
お初になります。
質問があるのですが、ジャンゴの全音源の中でもアコースティック主体のホットクラブ・スタイルでの演奏は800曲超の20%にも満たないとありますが、ほとんどの録音(その残りの80%に含まれる)がマカフェリでの演奏ではなく、エレキギターを用いてのトラッド・ジャズであったという事でしょうか?それともエレキギターを使い始めたのは晩年期のみで、バックバンドが変わっても相変らずマカフェリでの演奏を主体としていたのでしょうか?
1939年にグラッペリとジャンゴは袂を分かちます。それ以降、基本的にはリユニオン以外でのホットクラブ・スタイルの演奏をジャンゴは残していません。ジャンゴの電気ギター演奏には大きく分けて、マカフェリ・ギターにスタイマー社のマグネット式ピックアップを付けたものと、エピフォンやギブソンなどのフルアコの2種類があります。前者は1940年代初期から使用を始めましたが、後者は1946年の渡米以降でしょう。いずれもバイオリンを伴ったホットクラブ・スタイルではなく、ドラムや管楽器を加えた編成です。ただ、この電気ギター時代であっても、少なからずアコースティックでの録音が残されています。その中にはグラッペリとのホットクラブのリユニオンが何度かありますし、ビッグバンドでの演奏も聴けます。
私的に恐縮ですが、ジャンゴを知れば知るほど、マカフェリという楽器からは離れ、
マカフェリという楽器を追及すればするほど、ジャンゴというギタリストに拘らなくなるのではないでしょうか。
日比谷カタン氏は、ジャンゴの影響を受けず、純粋にマカフェリの音色に魅せられ、このギターを手にした一人です。
http://www.youtube.com/watch?v=6Opf80PbfdQ&playnext=1&list=PL2A33D87E06D42840&index=2
ジャンゴと冠したフェスorサークル等が、マカフェリ(アコースティック)だけのその場限りの
雑踏な演奏に終始しているのを見て、果たして彼らが正当にジャンゴを評価できているのか疑問に思っていた時期がありました。
ジャズ特有のキャッチーでエンターテイメント性溢れるホット・クラブ・スタイルと、
ジプシーの血が成せる民族的気質の強いマヌーシュ・スウィングとでは、
ちょうどアメリカのカントリーとブルーグラス程とはいえ違うのですから。
ホット・クラブ・スタイルは、アメリカ人や我々日本人にも演奏可能かもしれませんが、
マヌーシュ・スウィングは前述にもある様に、正にジプシーの血が成せるというか、我々他国人には演奏不可能な領域に来ていると思います。
そうしたマヌーシュ・スウィングの世界に、我々他国人でも演奏できる(気にさせてくれる)
キャッチーさを持ち込んでくれたジャンゴに、我々は感謝しないといけないのかもしれません。
こうした発言の場を与えて下さった長谷川光さんにも感謝です。
ジャンゴがエピフォンやギブソンなどのフルアコを使用していた時の音源に非常に興味があります。
その頃のジャンゴのアルバムで、おすすめがあれば教えて頂けないでしょうか?
カルテ様
Epiphoneを弾く1946年5月30日の映像が残っていますね。
その後すぐに渡米するのですが、渡米以前に電気ギターを弾いている録音は無いと記憶しています。
渡米時にEllington楽団と共演した時の録音が4テイク残っていて、それはGibson ES-300のようです。