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かつて、対中兄弟は東京ブルーグラスのパイオニアでした。しかし、この20年ほど兄弟の消息が不明でした。ところが、ひょんなことから、赤羽方面で毎月ライブをやっているとの情報を得て、先週の土曜日、東京ブルーグラス老人一行14人は、連れ持ってライブ見物に行きました。
僕がバンジョーを始めた30年前、日本語で読むことができるバンジョー教則本と言えば、ジェリー対中・著のJ★S式バンジョー教則本くらいしかありませんでした。僕は、バンジョーを手に入れる以前に、その教則本を元に、ギターの調弦をバンジョーと同じにして練習していました。本に掲載されているアメリカ製のバンジョーの写真を見る度に、いつかきっと、こういう楽器を手に入れて、人前で弾けるようになろうと思ったものです。中でも、著者の持ち物と思われる絢爛豪華な楽器は一際輝いていました。今にして思えば、それはVEGAというメーカーのものです。
(写真撮影/小森谷信治氏)
先週末、その憧れの楽器が目の前にありました。しかし、持ち主は、その週の月曜日に、この世から去ってしまったと聞きました。(10月9日に追悼コンサートがあるということです。)残された兄のロバート氏は70代半ばを過ぎて、右の写真のように現役で唄っていました。その昔から較べれば、きっと衰えたのだろうと、僕にでも予想がつきましたが、戦後、米軍キャンプで鍛えたマウンテン〜ヒルビリー・ソングのコブシは、現役の誰も真似ができない本物でした。対中氏には、まだご兄弟が数人いらっしゃいますし、ほとんどの方が楽器をされるということで、ジェリー氏亡き後も、ご兄弟で演奏を続けていって欲しいものです。
昔、東京ではいろいろなことがあって、やっかいな人間関係もできたと聞いていますが、大阪でブルーグラスの修行をした僕には、対中兄弟は雲の上の人でした。大変、良いものを見せていただいたという気持ちでいっぱいです。
ジェリー対中氏はお亡くなりになりましたか。合掌。進駐軍時代のカントリーの匂いを残す最後の方でもあります。不肖私も彼の教則本で(まだ、押入にあるかな?)勉強し、彼の興業に少し関わった者です。退職し、この世界へ社会復帰すべく、毎日パソコンにアクセス(世の中便利になった物です)。
もう、ついて行けない!でも、ガンバルダヨ!