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ありがたいことに、最近はジャズのライブでもマカフェリギターの長谷川光と紹介されることが少なくなりました。着実にマカフェリギターの認知度も上がってきていると思います。しかしながら、マカフェリが人名であるということも、その名で呼ばれるギターがかつてフランスSelmer社で生産されていたということも知られておらず、楽器のユニークなデザインのみが独り歩きしているように感じます。そこでひとつこの辺でマカフェリとは何かということを改めて記しておきたいと思います。
1900年イタリア北西部生まれのマリオ・マカフェリ氏、成人する頃にはバイオリンやマンドリン、ギターの製作家として有名でした。同時にクラシック・ギター演奏家としても、アンドレ・セゴビア氏と並ぶ実力の持ち主として名を馳せていました。
1920年代終わり頃のマリオ・マカフェリ氏の演奏。
マリオ・マカフェリ氏は製作家でもある演奏家として、楽器、特に自分の演奏するギターの改良に日夜励むことになり、1932年、今でもサックスやクラリネットで有名なフランスSelmer社で自身が設計したユニークな形のクラシックギターを量産し販売することになりました。いわゆるマカフェリギターの誕生です。その頃、欧州でもジャズの流行でジャズ演奏が容易な鉄弦のギターが望まれることになり、更に改良を加えたオーケストラモデルが発売されます。これが俗にいう最初のマカフェリギターで、非常に大きなD型サウンドホール、世界初のカッタウェイボディ、12フレットネック、テイルピースが外見の特徴ですが、内部もボディが二重構造になっているなど、革新的な楽器でした。
1934年に結成したフランスホットクラブ五重奏団のリーダーDjango ReinhardtがすぐにSelmer Orchestra Model、つまりマカフェリギターの虜になり、1938年頃まで愛用しました。
しかしながら、マリオ・マカフェリ氏はSelmer社との確執が原因で1933年に退社しました。最初のマカフェリギターのいくつかのデザインや構造はマリオ・マカフェリ氏のパテントになっており、Selmer社はマカフェリ氏退社後にマカフェリギターを継続して生産できなくなります。
デザインや構造を徐々に変更して試行錯誤しながら、1938年頃には小さい楕円形のサウンドホールと14フレットネックが特徴の新しいモデルを正式な仕様にしました。ボディの二重構造も廃止しました。これは専門家はセルマーギターと呼びますが、現在では一般に、これも含めてマカフェリギターと呼んでます。Django Reinhardtも1938年頃このモデルにコンバートし、終生の愛器としました。
フランスSelmer社は戦後1952年にマカフェリギターの販売を打ち切り生産もやめましたが、欧州の個人ルシアが同様の仕様やレプリカを作り始め、現在に至ります。現在ではプロの演奏家も優れたレプリカを使って演奏します。レプリカも含めて総称マカフェリギターと呼んでます。
余談ですが、Selmer社を退社したマリオ・マカフェリ氏は1939年にアメリカに渡り、現在でもファンの多いサックスやクラリネットのプラスチック・リードを開発・販売しました。また、戦後、プラスチック製のギターやウクレレの製造販売でも成功しました。