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1924年7月20日米国テネシー州ラトレルで生まれ、2001年77歳で惜しくもこの世を去ったChet Atkinsは、天才ギタリストであるだけではなく、いわゆるナッシュビル・サウンドを作り出すなど、音楽ジャーナリズムを変革させた音楽プロデューサでもありました。
Chetは9歳の頃、その後Les Paul Trioのサイドギタリスト兼ボーカリストとして活躍することになる兄Anthony Atkinsの影響でギターを弾き始め、高校を卒業した1941年には、テネシー州ノックスビルのラジオ番組「Bill Kirlile Show」でデビューしました。その番組で知り合ったコメディ・デュオのHomer & Jethroとは竹馬の友となり、その後幾度となく共演しています。(Homer & Jethroはコミック・ソングを歌うマンドリンとギターの単なるデュオでは無く、フランス・ホットクラブ五重奏団を彷彿とさせるジャズ演奏をするコンビでもありました。)
1946年には、Gland Ole Opryに初出演し、マイナーレーベルながらもレコードデビューしました。1949年にはメジャーレーベルのRCAでレコードをリリースしています。この時の曲が「Gallopping On The Guitar」で、サポートには前述のHomer & Jethroが加わり、ChetのDjangoやTravisを思い起こさせるアメイジングなギター・ソロと共に、Jethro Burnsの素晴らしいマンドリン・ソロが炸裂しました。同じメンバーでよく似た曲に「Main Street Breakdown」があり、こちらは戦後の日本でFEN(極東進駐軍放送)のカントリー番組「Honshu Heyride」のテーマ曲として長らく用いられ、日本のオールドファンの良く知る所となりました。
Chetは、先輩ギタリストであるMerle Travisのオルタネート・サムのギター・スタイルを昇華して、自身のカントリー・スタイルのスリー・フィンガー・ギターを確立しただけではなく、先輩ギタリストのLes Paul経由でDjango Reinhardtのジプシージャズ・スタイルを自分のものにして、Western Swingやジャズ・スタイルの演奏も好んで行ないました。同様のジャズ演奏を得意としたHomer & Jethroや、フィドルのDale Potterら他のRCAのナッシュビル・スタジオ・ミュージシャンが一同に集まり、1950年代に結成したCountry All-Starsは、ただのセッション・バンドではなく、正式なアルバムをリリースしたり、パーマネントでライブを行なうバンドであったようです。Country All-Starsは、1960年代にニューポート・ジャズ・フェスティバルにも出演するなど、ジャズ・チームとして本格派であったと言えるでしょう。
ナッシュビルで駆け出しの頃のChetは、当時Grand Ole Opryにレギュラー出演していたCarter Family(Mabel、Sara、A.P.のオリジナル・カーター・ファミリーはカントリー音楽の母と言われるが、この頃のカーター・ファミリーは、Mabel Carterと彼女の娘達のヒルビリー・バンド)のバック・ミュージシャンをやりながら、少しずつナッシュビルでのギタリストとしての地位を固めていきましたが、1957年にRCAのプロデューサーに就任するやいなや、現役ギタリストであることを活かしてプロデューサーとして腕を振るい、独特のサウンドを用い、多くのアーティストを育て多くのヒット曲を世に送り出しました。
Chetがプロデューサーとして創り上げた独特のサウンドは、今日でもナッシュビル・サウンドと呼ばれます。ナッシュビル・サウンドという言葉を知らなくても、聴けば、ああこれか、と分かるサウンドですし、1960年代から70年代にかけてナッシュビル・サウンドは、単なる土着音楽に過ぎなかったヒルビリーと呼ばれたカントリー・ミュージックを洗練させ、幅広い層に受け入れられるポップスとして受け容れられました。1970年代には、ナッシュビル発のロック・サウンドでさえも、ナッシュビル・サウンドを規範としました。また、ナッシュビル・サウンドを支えたスタジオ・ミュージシャンをナッシュビル・キャッツと言い、今日でもこの呼び方は生きています。
Chetはギタリストとしても、カントリーだけでなくロックやジャズのギタリストにも影響を与え、晩年まで現役にこだわり続けました。1970年代以降は、先輩のMerle TravisやLes Paul、後輩のJerry Reed、フラットピッキングのDoc Watson達など、名の有るギタリストとの共演アルバムの製作がライフワークになったようです。これは亡くなるまで続き、最晩年にやった、イギリスのロックバンド、Dire Straitsのリーダー、Mark Knopfler(彼のアイドルはChet)とアルバムやシングル、ビデオ等で共演は、記憶に新しいでしょう。