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話を辿ると20年は遡ります。1994年頃のことから思い出しながら書きます。
大阪ミナミ千日前にジュリアン・ソレルというブルーグラス専門の小さなライブハウスがあって、そこでチーパパやってた吉津さんと以前よりも仲良くなり、ジュリアン・ソレルやミナミでよく遊ぶようになりました。そのうち、僕が仕事でジャズの演奏もやってるということを知って、吉津さんの幼なじみのギタリストの川瀬さんを紹介してもらいました。川瀬さんも元々はブルーグラスのバンジョー弾きで中学高校時代から吉津さんと演奏していたということでしたが、当時はご自身が経営する堅気の会社で忙しくして居られました。
僕が昔からジャンゴが好きでそういう演奏をしたいと言うと、川瀬さんは紹介できるメンバーのアテがあるからいっぺん会いに行こうかということで、梅田サンケイホールの近くにあったDon Shopというライブハウスの日曜日のジャムセッションに一緒に行ったのですが、お目当ての人には会えずに、後日紹介してもらったのが、アコーディオンの津田さんです。津田さんは当時女子大で心理学を教えて居られました。
僕は津田さんとベースの石倉さんとちんどん屋を辞めて普通に就職した若いギターの崎田くんの4人で何度かリハーサルを重ねました。しかしながら、そのグループでは一度も人前で演奏しませんでした。1995年の夏にジュリアン・ソレルが移転して新装開店したアナザードリームで一度だけ取材のための模擬ライブを、僕・津田さん・石倉さんでやったのを最後に、1996年1月、僕が急に上京を決めて、そのグループはフェイドアウトしました。上京後の僕は、堅気の仕事を起業するため、しばらく演奏から遠ざかりました。
音は当時の別の音源に差し替えましたが、前述のTV取材の画面にアコーディオンの津田さんとやっていたバンドが一瞬映ります。
2000年3月某日深夜2時頃電話が掛かってきました。深夜の急な電話は不幸を伝える電話だと相場が決まっていたので、こちらも覚悟して暗い声で電話口にでました。そうするとめちゃくちゃ明るい大阪弁で、「これから行くし泊めてくれるか」と懐かしい川瀬さんと津田さんが喋舌るではないですか。眠かったけど断る理由が無いのでお越しいただいて、深夜旧交を温めました。
聞くと、Django 2000というイベントで演奏するために上京したとのことでした。後日どこからか貰ったDjango 2000の実況アルバムの一曲目にMUSETTE JAZZ QUARTETのバンド名で演奏が入っていました。つまり、かつてリハーサルを重ねたにも関わらず陽の目も見ないうちに僕がフェイドアウトしたグループを母体として、川瀬さんが加わって立派なフルタイムのバンドとして活動されていたのです。
お泊りいただいた翌日、川瀬さんと津田さんがお帰りになる前に少し(と言っても1時間以上)ジャムセッションをしました。この時、僕は5年ぶりくらいにギターを真剣に弾きました。弦が錆びて表板が割れていることにも気が付きました。その10年前には、ジャズ界の至宝・ステファン・グラッペリさんからから直々に「がんばれよ」とのお言葉をいただき、ボディに軽いキスまでしていただいたギターがその状態だったので、目が覚めました。この時のジャムをきっかけに、ギターを修理に出し、再びギターでジャズ演奏することを決めました。
2000年の夏頃にあったちょっとしたコンサートのアフターにギターを弾かないかというお誘いがあって、とあるバンドに参加しました。そのバンドはウエスタンスイング風の音楽を演奏するバンドでしたが、僕は自由にジプシー風ギターを弾かせてもらいました。
2003年がジャンゴ没後50年ということで、それにあやかって「丸ごと一冊セルマー/マカフェリ」というムック本を作ろうということになりました。当時やっていたバンドのシンガーがその製作ディレクターでした。この本の製作のために、2002年1年掛けていろいろな仕込みを行いました。無事印刷が終わり、出版記念パーティーを2002年11月9日に東京根津の団子坂下にあったジャンゴというスナックで行いました。世に言うセルマカ本の誕生です。
出版記念パーティーには、アコーディオンの津田さんが単身大阪から参加してくださいまして、翌日のジャムセッションも一緒にお付き合い下さり、20世紀末にご一緒した時とは違う演奏の印象をお互いに持ちました。この時の縁がきっかけで、年明けの大阪東梅田のロイヤルホースのジプシージャズライブに誘っていただきました。また、さらにバイオリン以外のほぼ同じそのメンバーでジャンゴ没後50年の追悼アルバムをライブ録音しようということになりました。
Maccaferhythm
川瀬眞司(guitar)
長谷川光(guitar)
山本佳史(guitar)
Yu-Ma(violin)
津田兼六(accordion)
廣田昌世(contrabass)
当時は、映画「ギター弾きの恋」「僕のスイング」が上映されたり、ブレリ・ラグレーン、チャボロ・シュミットやロマーヌが来日したりと、ジプシージャズ・バブルの時期でした。ジプシージャズというジャンルの音楽が日本でも少し認知されるようになりました。この頃に、その手のギターを弾きだした人がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?(「マヌーシュ弾きのジャンゴ知らず」という論語もどきの揶揄が懐かしいです。)
こうやって、2003年9月11日にジャンゴ没後50周年追悼ライブアルバム「Maccaferhythm」の録音が完了し、バンド名Maccaferhythm名義で、翌2004年1月17日に神戸元町モクバズ・タバーン、18日に大阪東梅田ロイヤルホースでレコ初ライブを行いました。
3月6日の大阪駅前地下街ディアモールでの周年イベントでの演奏がこのグループの最後になりました。
しかし!!!!!
10年の時を越えて、2013年11月3日、MINAMI JAZZ WALKというイベントでMaccaferhythmが一日だけ再結成して演奏を行います。
かつて日本のジプシージャズの黎明期に強烈なインパクトをファンに与えたバンドが一日だけ蘇ります。
ぜひお見逃しなく!