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「Happy New Year」、直訳すると「新年おめでとうございます」、あるいは「幸せな新年」。
普段お正月にオウム返しのように発声する「明けましておめでとうございます」ではありません。冥土の旅の一里塚なんて詠む川柳もあるので、無事に一つ歳を取れたことを祝い喜ぶのかと最近まで思っていましたが、実はそうではなくて、「明けまして」は歳神様が家に来てくれたことを祝うための言葉だということを最近知りました。門松というのも、歳神様が家を認識できるように立てる標識なのだそうです。松が取れるまでの一週間ほど歳神様は家に滞在してお帰りになるので、その間、家主も客も「明けましておめでとうございます」を挨拶にするわけです。イスラムやアーメンのような一神教を信じているような家では、「明けましておめでとうございます」の発声は戒律破りということになります。
薀蓄はそこそこに、今年は20周年です。或る方面では20周忌となります。僕の方でもいくつかの20周年があります。20年前を振り返ると、1月の神戸の大地震で多くの方と同じように僕も線路が掛け替りました。その6年ほど前に昭和天皇が崩御された頃は歌舞音曲の自粛という理不尽な世相により、演奏を生業とする僕らは経済的にかなりのダメージを受けましたが、その前のいわゆるバブル期に蓄えた体力と国際花の博覧会で逞しく復活しました。そしてバブルが弾けて安定期に入った頃にその大災害が起こりました。自分もある意味で被害者ですから、震災犠牲者の方々への弔意をここでは文章にしません。昭和天皇崩御の時は理不尽でしたが、今度は物理的・経済的に僕らの経済活動が制限されるようになりました。簡単に言うと、仕事がかなり減ったわけです。それでも、バブルの頃から地道に作り上げた人脈等で最低限の仕事を確保しながら数ヶ月は過ごせました。しかしながら、震災の直接的な復興とは逆に仕事が減り続けたのです。20年も経つと恨みも消えてただ残念な気持ちのみ残るだけですが、(今は名が有る)当時ポっと出のブルーグラス・ミュージシャンたちがダンピングして僕らの仕事を奪っていました。ジャズの仲間にはよく、ブルーグラスに仕事を取られたなどと愚痴を聞かされましたが、僕は当事者ではなく、僕仕切りのブルーグラスの仕事に来ながら僕を差し置いて名刺交換など営業行為を行ってた奴らがそういうことをしていたらしいです。ギョーカイ用語でケツカキですね。僕はジャズの仕事のケツを欠いてブルーグラスを演奏したことはありません。
そんなこんなで、関西で仕事になる演奏機会も減り経済的に苦しんだり、ミュージシャンへの人間的不信が重なり、状況を一新するべくいろいろ考えた結果、1990年頃より仕事として外注を受けていたコンピュータによる音源制作(当時は主にカラオケ音源の製作)をメインに生活を立て直すことにしました。遠距離結婚もこの頃しました。さらに、これからはインターネットの時代だということで、月額10万円近い経費を捻出してインターネットに繋ぎ、デスクワークを始めました。同時に(ITという言葉は当時ありませんでしたが、)執筆も生業にしました。
上京し起業するのは翌1996年ですが、20年前の1995年は僕にとって人生の線路が替わった35歳の年でした。
これからもダブル・スタンダードを許さずに、他人に厳しく、自分に甘く生きていこうと思います。