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ジャズソングUpdate : 2006/06/08 Thu 04:15

ちょっと前までの日本の歌謡曲には、大きく分けてポップスと演歌という区別がありました。ちょいと昔のニュー・ミュージックや今のJ-POPというのは、このポップスの区分に入ったと想います。歌謡曲論をここで打つつもりはありませんが、歌謡曲で言うところのポップスは、アメリカやヨーロッパの流行歌(時代によってジャズ、シャンソン、ラテン、ロックといろいろありますが…)を、(欧米での流行とリアルタイムで、)デッドコピーしないまでも、サウンド(曲風)というものに著作権が認めれているとしたら、ほとんど盗作と呼べるものばかりでした。また、一方で「カバー」という開き直った手法でのポップスも人気を獲得したことがあったようです。

日本の戦前の流行歌(昔は歌謡曲とは言わなかった)でも、この傾向は同じでしたが、今日、演歌と呼ばれる曲想の楽曲は逆に様式を模索している状況でした。日本のレコード産業が本格化するのは、昭和3年のマイクロフォン吹込み導入以降ですが、当時の一般的な日本人は江戸〜明治の端唄・地歌・小唄のようなメロディしか理解できなかったようです。それに対して、洋楽は大正オペラや軍学、それに唱歌という形で年少者やインテリに少しは入り込んでいたようです。特に、鹿鳴館以来の、ダンスがインテリの教養であるという屈折した西洋指向が原因かどうか分かりませんが、すでに欧米で流行していたフォックストロットというリズム(ステップ)でのダンスのための楽曲(後のジャズ)をインテリや好事家が受け容れたことにより、レコード産業の下、演歌よりも先にジャズ的な曲想が流行歌として認知されたと思います。今で言う、ポップスですね。すぐ後に、そのジャズ的なリズムや演奏に端唄的なメロディが載って、今の演歌の元となる流行歌の形ができあがったように思えます。たった数年の間のことですが、時系列で流行歌の音源を追うと、いろいろ面白いことが分かります。

さて、日本でのジャズ演奏の発祥や歴史については、他のサイトを検索していただくとして、僕がいろいろ聴いた当時の流行歌としてのジャズ音源で気に入ったものをいくつか列挙してみます。

●カバー物(歌詞は翻訳か新たに作詞)

  • ディック・ミネの一連のカバー物は全くジャズだと思います。(中でも「意味ないよ(It Don’t Mean A Thing)」や「唄は廻る(The Music Goes ‘Round And Around)」は演奏・歌唱ともに秀逸だと思います。)
  • フィリピンのDixie Minstrels Orchestraが伴奏した天野喜久代の数曲は昭和初期の貴重な音源です。(歌唱はジャズ的ではありませんが、伴奏のスイング感は、同時期のアメリカのディキシー・バンドと変わりません。素晴らしい!)
  • 宮川はるみの「唄え唄え(SIng! Sing! Sing!)」は、歌唱はもちろんとして演奏やサウンドバランスが戦前の日本のジャズのベストテイクではないでしょうか。(兄のリキー宮川の一連の録音も素晴らしいけれど、はるみのこの曲にはかなわないでしょう。)
  • 川畑文子のコロンビア録音は、はっきり言って唄は拙いが、演奏が良いです。テイチク録音は演奏がチープで、せっかくのカバー物としては値打ちがありません。
  • 宝塚歌劇団の戦前の録音は、唄は宝塚風で好き嫌いがあると思いますが、演奏のレベルは非常に高く、曲によっては舶来のバンドだと言われても分からないくらいです。
  • 岸井明が自ら直訳に近い訳詩をした何曲かの録音は、演奏の質も高く、本場のジャズをかなり意識したサウンドに仕上がっています。(特に「スーちやん(Sweet Sue)」はよく出来ているし、「涙をふひて (My Melancholy Baby)」はディック・ミネよりも泣かしてくれます。)

エノケンやバートン・クレーンのジャズカバーはイロモノだと思うので、僕はジャズ的には評価していません。しかし、両者ともジャズを理解していると思うし、伴奏の演奏は素晴らしく本格的なジャズだし、ジャズを流行歌として日本に普及させた功労は讚えたいです。また、ミッヂ・ウィリアムスは本物のジャズシンガーですから、ここでは除外しておきました。

●オリジナル物(俗に言うジャズソングで、単にジャズバンドが伴奏しているもの)

  • なんといっても二村定一がたくさん録音に残したジャズソングには拍手したいです。プロデューサー的な役どころをしていたと思われる佐々紅華や、編曲・伴奏を一手に引き受けた井田一郎の力もかなりあると思いますが、最初にやった人だから偉いのです。
  • 服部良一が編曲したもののほとんど。服部先生はガーシュインとエリントンを合わせたような才能をもった人だと思います。当時の他の編曲家で、ここまでスイングジャズのホーンセクションをきっちりアレンジできた人は、あえて言うと仁木他喜雄しか居なかったでしょう。
  • 「別れのブルース」を出す前の淡谷のり子の軽薄な一連のジャズソングは、本格的なソプラノに似合わないコミカルな曲調とスイングする伴奏が素晴らしいです。前述の服部良一編曲のもは、唄が編曲に負けているような気がします。服部編曲に勝てたのは笠置シズ子くらいのものではないでしょうか。
  • コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ(シスターズ)がクレジットされているもののほとんど。多くは服部良一の編曲ですが、ミルス・ブラザーズやボスウェル・シスターズを日本式にリアルタイムで解釈したのは凄いと思います。忌まわしき軍歌・戦時歌謡さえ、スイングさせていたのでした。同様のグループに、スリー・シスターズも居ましたね。
  • コレクター以外には知られていませんが、藤山一郎も案外多くのジャズソングを残しています。スイングしているとは言い難いのですが、歌唱・伴奏ともにスマートです。有名なところで、東京ラプソディは立派なジャズソングです。東海林太郎もこっそりとジャズソングを残しているフシがあります。
  • ポリドール管弦楽団とクレジットされていますが、あきらかに普段の唄伴とは違うと感じさせるポリドールでジャズソングを伴奏したバンドは特筆すべきです。特にバンジョーが凄腕です。コロンビアでバンジョーを弾いた角田孝も凄いのですが、角田がギター的なアプローチ(ギターバンジョー?)であったのに対して、ポリドールのバンジョー奏者はテナーバンジョー奏者としてかなり本格派です。

他にもいろいろ挙げたいけれど、本一冊くらい書いてしまいそうなので、この辺にしておきましょう。
ちなみに、ヒルビリー系のカバーでは、バートン・クレーンがLittle Liza Janeをやっていますし、When It’s Lamp Lightin’ Time In The Valleyなどは何人もカバーしています。こっち方面も面白いですね。

▼ Comments for this post

From : Kahoru   Date : 2006/06/23 13:04

ジャズソングに関するお話、興味深く拝見しています。
Burton Craneの名前が出て来たのが嬉しかったです。彼も私のお気に入りです。
“ヘンな外人” って昔から日本の庶民に人気があったのでしょうか?
ミンストレル起源やヒルビリー系の曲とかカバーしているのを聴くのはワクワクしますね。曲ののっけにIrish Reelの旋律が突撃ラッパみたいなアレンジで唐突に出て来る曲もあったりします。この人のパーソナリティーも素敵なのですが、それ以上にバックバンドに興味大です。「雪ちゃんは魔物だ」(原曲: Frankie & Johnny)のクラリネット? 吹きや、「女の天下」のバンジョー弾きって本当に日本人なのかしら? と思ったりします。

From : Hikaru   Date : 2006/06/23 13:48

バートン・クレーンのバックバンドは井田一郎編曲のコロムビア・ジャズバンドとなっていますが、服部良一入社前なので、本格的なスイングバンドではなくて、ディキシー的な演奏ですね。井田一郎が元々バンジョー奏者なので、バンジョーが活かされたアレンジが多いと感じます。調べたわけではありませんが、バンジョー奏者はたぶん坂井透(洒落男を作詞した人)ではないでしょうか?角田孝に代わる前だと思います。
同時期のポリドールのバンジョー奏者はさらに凄いです。藤山一郎が「勝敗の唄」という流行歌を入れているのですが、その間奏はバンジョーソロで丸々1コーラス「12番街のラグ」でして、典型的なテナーバンジョーサウンドを聴かせてくれます。間奏だけ聴いたらアチラのジャズにしか聴こえません。
突撃ラッパは「のんきなパパさん」でしょうか。元歌は「It’s A Long Way To Tipperary」というアイルランドの小唄です。第一次大戦でヨーロッパ中の兵隊に流行したらしく、同じ時代の浅草オペラにおいてけっこう日本でも唄われていたようです。

From : Kahoru   Date : 2006/06/23 20:55

詳しいレス、ありがとうございます。
>バンジョーソロで丸々1コーラス「12番街のラグ」…
これはすごい。聴いてみたいです。当然米国の出稼ぎミュージシャンではなく、てれっきとした戦前の日本人なのですよね?
>突撃ラッパは「のんきなパパさん」でしょうか。
その通りです。「にっぽん娘さん」のオリジナルも第一次世界大戦中に流行った端唄らしいですね。このあたりのオリジナルをいろいろと捜し出すのも愉しそうです。録音としてきっと残っている筈ですから。

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