Category :: Django Reinhardt

『ジャンゴロ爺』Update : 2002/11/15 Fri 03:45

これは、「丸ごと一冊セルマー/マカフェリ」用に書いたエッセイなのですが、没になったので、ここに掲載します。

昔の偉い坊さんが押し入れから飛び出して来て説教を始める、ヘンテコなエッセイを読んだことがあるが、我が家の1902年イギリス製ワードローブから、酔っぱらった背の高いジプシーが出てこようとは…
ダブルのスーツに、スカーフ、そして丁寧に揃えられた細い口髭。一見して僕のギターヒーローだということが分かった。50年も前に死んだはずの、その人物がここに居ることの不自然さを悩むより、話しかけたい欲求が先行した。

「もしかしたら、あなたはジャンゴ・ラインハルトさんですか?」

「見ての通りだ。なんならそこに置いてある偽物のセルマーを弾いてやろうか?」

「♪ドッダー、ドッドダー…」

夜中の2時だというのに、ヒーローは、言うよりも先にギターを弾きだしてしまった。Daphneの速いテーマで、左手の二本指が踊り、これはただのツカミだとばかりに64小節目でエンディングを迎えた。

「なぜ、ここに来たか不思議に思うだろう。俺だって来たくはなかったのさ。だがしかし、ブランデー1杯奢ってもらった借りに、ステファンが、お前のところへ行って渇を入れてこい、なんて言うからな、来たっていうわけよ。」

ヒーローはさらに続ける。

「お前も知ってるだろうが、お前と俺は同じ1月23日生まれで、丁度50歳離れているんだ。それが何だって?さらにその間にはレスラーのジャイアント馬場も居たのだよ。1月23日生まれは皆、逆境を逆手にとって独自の境地に至ったんだが、お前は情けないことになっているって、ステファンが言うわけだ。しかも、お前は俺みたいに弾けるように頑張ります、ってステファンに言ったそうじゃないか。」

昔の僕は、希望に燃えたギター小僧で、寝ても起きてもジャンゴの曲を弾いていた。だが、今は生活の忙しさにかまけて、あの頃のようなほとばしる情熱は薄れたかもしれない。ヒーローに言われるまでもなく、確かに情けない。

「ちょっと前はビレリのところに行ってたんだが、今夜は、お前がまた情熱を取り戻せるように、ギターのことを教えてやろうと思う。その前に、ブランデーを1杯よこせ。」

余計なお世話だが、ヒーローにそう言われれば従うしかない。

「うちにはブランデーの用意がないので、同じ蒸留酒の焼酎でも良いでしょうか。『伊佐美』っていう、とっておきのがあります。」

100円ショップで買ったコップには似合わない、上等の芋焼酎を口に運びながら、ヒーローは言った。
「聞きたいことがあったら何でも聞くが良い。あ、もう1杯注いでからな。」

ジャンゴが火傷で左手の薬指と小指を不自由にしたことは有名だが、僕にとって、そうなるまえのギタースタイルに興味がある。

「火事で火傷するまえには、どんな風に弾いていたのですか?それを知ることが、あなたのギターを考えるときに重要だと思うのです。」

安物のコップを置き、遠い目をしながら、ヒーローは語り出した。

「今、弾いてやっても良いのだが、見ての通り無理だ。そう、あの頃はまだ俺も10代で、聞こえてくる外国の音楽全てに興味を持ったものだ。特に1920年代のアメリカのジャズは、エキサイティングだったな。エディ・ラングだったかな、ああいう風な弾き方を、アコーディオンの伴奏でやったものさ。しかし、楽団ではバンジョーをよく弾かされたんだ。もちろんギター・バンジョーだがね。」

回想は続く。

「で、あの火傷だろ。もう一生ギター弾けなくなるのかと思って悲しかったぞ。でもめげずに、ラングみたいなフィンガリングは無理だが、クローズド・ポジションで独自のコードフォームを考え出したんだ。俺の場合、譜面とかコードネームとか知らないから、ビッグバンドから聞こえてくる気持ち良い和音をギターで探しただけだ。ほらこんな感じだ。♪ジョワーン…」

クローズド・ボイシングの心地よいシックスナインスコードが天井4メートルの小間に響いた。

「なるほど。では、指が不自由になって、ソロのフレーズとかはどうしたんですか?」

ヒーローは答える。

「ジプシーは生きるために我流で楽器を覚えるから、奏法なんか適当なものなんだ。俺なんか元々左手の指は2本しか使っていなかったのさ。当時のジャズを聞いているうちに、クラリネットのフレーズが気に入って、ジミー・ヌーンとかジョニー・ドッズとかを、ギターでコピーしたよ。アルペジオとかトレモロとかチョーキングは、その苦肉の策っていうのは分かるだろ。まあ、あとは、俺のコードフォームを元にしてギターらしく弾いただけで、特別な努力なんかしちゃいない。ざまぁ見ろってんだ、評論家野郎。」

 なんと脳天気な天才なんだろうか、ちょっと困らしてやろう。

「ところで、1946年にアメリカに演奏旅行に行ってますね。あれは失敗だったと世間では言われてますが、実際のところはどうなんですか?」

「アメリカって移民の国で民族間の差別がけっこう強いだろ。たった一人で港に着いたジプシーを見たアメリカ人なら、どういう態度を取ったか分かると思う。ジャンゴ・ラインハルトという名前を知ってるのは、一部のジャズ・マニアだけだったからな。音楽以前の問題だな。でもデュークとのステージでは受けたぜ。失敗といえば、金銭面だけかな。ホテルに居てもつまらないから、ジャズマン誘い出して、ギャラのほとんどを飲んじまったのさ。わっはっは。おい、こんな話じゃなくて、ギターの話を聞いてくれよ。ところで、もう1杯くれ。」

芋焼酎ストレート3杯目を差し出しながら、使ったギターのことを聞いてみた。

「ジプシーは楽器なんか買いやしない。盗むか貰うかのどっちかだ。弟やステファンなんかとやりだして少ししたら、マカフェリっていう大きなサウンドホールのギターを貰ったんだが、こいつは良かった。さらに新型が出るって言うんで、そいつもうまく手に入れた。それはセルマーっていう小さい穴のギター。死ぬまでこれを使ったのさ。アメリカに行ったときには、いろんなギターメーカーがギターをプレゼントしてくれたな。でも正直言って、ああいうF穴のギターって、どうして人気があるか分からなかったな。音が伸びないし、それほど大きい音がするわけでもないし。少なくとも俺はセルマーの音でしか、気持ちよくなれないからな。そうそう、死ぬ前に、アメリカでテレキャスターっていうギターが出たらしいんだけど、あれは弾きたかったな。霊界でクラレンス・ホワイトに会ったけど、奴が弾いているのを聞いて、ちょっと悔しかったぞ。奴も俺のスタイルをちょっとマネしてたようだ。今度、エイモス・ギャレットにも早く来て貰ってセッションしてみよう。」

酔いのせいか、ヒーローは饒舌になってきた。これでは、無茶苦茶なことを言う、飲み屋の中年客と変わらない。ストレスが溜まっているのだろうか。ちょっと煽ってみよう。

「ジャンゴさん、僕もそろそろ43歳になるのだけど、あなたは実は、あの歳で死にたくなかったでしょ。」

「…そうなんだ。あと10年は現役でやっていたかったよ。そしたら、もっともっと後世に音楽的影響を残せたのに、とても残念だ。いいよな、アメリカ人のチャーリー・クリスチャンやパーカーは…。ヒック。」

5杯目の焼酎を飲み干した僕のギター・ヒーローは、まるで、飲み屋のカウンターによだれをこぼしながら愚痴を垂れる万年平社員だ。

「バタン!」

突然、またもやワードローブの扉が開き、花柄シャツを着た白髪の上品なオジイサンが飛び出した。

「ジャンゴ、何してるんや。早よ帰ろ。お客さん待ってるがな。お兄さんすんませんな。マカフェリ/セルマーの本が出るらしいで言うたら、霊界のライブ放ったらかして、こっち来てしまいよりましたんや。すんません。すんません。」

そう言いながら、どこかで見たお洒落な紳士は、僕のギター・ヒーローの肩を担いで、共にワードローブの中へ消えた。

どうやら僕は、ライブの後、安い焼酎を飲んで帰り、ギター・ケースを枕に寝てしまったらしい。もう10年も前のこと、ステファン・グラッペリの亡くなる前、最後の来日コンサートがあった。そのときに楽屋でギター・ケースにサインを貰ったのだった。今でも、僕の宝物、偽物のセルマーギターがそのケースに納められている。

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