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関東で学生ブルーグラスが滅びて久しい。日本のブルーグラス社会では、20代のピッカーは居ないということになっている。だが、実は、驚いたことに、これがたくさんとは言わないまでも、けっこうな人数が居るのだ。
僕らが学生の頃は、アメリカ建国200周年やら、ジョン・デンバーが売れたとか、アーバン・カウボーイだとか、イーグルスがカントリーロックぽかったり、ナターシャ・セブンが現役で活躍していたりとか、ブルーグラスやる若者がけっこう居た。大学には、そういうクラブ、または軽音とかにブルーグラス・バンドが必ず一つはあって、人数の多い所では、50人を超すクラブがあったりした。しかし、80年代中頃には衰退して、90年代半ばには関東では全滅(関西ではまだ頑張っている大学が二つ三つあるようだ)した。
日本のブルーグラス社会では、ブルーグラス・フェスという野外フェスティバルが夏の間に各地で何度も行なわれており、古いフェスでは30年以上の歴史を持っている。ウッドストックのロックフェスがそのまま今でも継続しているようなものだ。しかし、その日本のフェスは20年くらい前から参加者層がほとんど変わらない。変わったのは、消えていった人達が居ることや、配偶者や二世が一緒に参加したりしていることで、基本的には、20年前の若者が、そのままジジイになっても続けているということだ。だから、ディキシーランド・ジャズの世界みたいにジジイのコミュニティと化してしまった感がある。
ところが、当社調べでは、巷には若いブルーグラス・ピッカーが結構居るのだ。彼らは、当然のごとく、学校のクラブでブルーグラスに入門したわけではない。どういう経緯か分からないが、自然発生的に湧いてきたとしか言い様がない。考えられる理由の一つとして、弾き語りブームによるアコースティック音楽の流行から、若者がルーツ・ミュージックに目を向けたのではないか、ということがある。実際、ブルーグラス社会と接触を持たない彼らは、ブルーグラスだけを演奏するのでは無く、ジャグバンド・ミュージックやブルース、日本語フォークや沖縄ミュージックetc、彼らの目の前に有るアコースティックな素材を節操無く演奏している。また、ロカビリー系パンクからアコースティック色を強く出したネオロカというようなジャンルでも、彼らが活躍している。そして、無勝手流ではなく、ブルーグラス由来のスタイルでバンジョーやマンドリンを演奏しているのだ。これは、昔からブルーグラスを啓蒙し、演奏を実践してきたオヤジどもにとっては、おどろくべきことだ。
筆者が、なぜそういった若者の存在を知るようになったかというのは、数年前にストリート・パフォーマンスに出逢ったからだ。若い演奏家を応援するのはジジイの役目だから、彼らとなるべく接触して、彼らが考えるブルーグラスを理解し、伝えられることを伝えようとした。伝わったかどうかは分からないが、彼らは増殖している。
と、ここまで書けば、日本のブルーグラスの未来が明るいような気がするが、それはちょっと違う。実は、彼らは演奏スキルがかなり低い。正直なところ、僕らが学生時代の大学1年生の演奏にも劣る音しか出せていない。これは、やはり、大学のクラブで先輩の上手な演奏を聞くといった、本式の演奏を刷り込むチャンスが無いからだと思う。なんとか彼らを一人前のピッカーにしてあげたいという思いは、彼らにとっては余計なお世話かもしれないが、この機会を逃しては、現状で本場アメリカにも引けを取らない日本のブルーグラスが15年後に必ず滅びる。15年経てば、今の日本のベテランのほとんどは演奏不能になるだろうし、15年経っても、若い彼らは基本を知らず下手なままだ。なんとか彼らが日本のブルーグラス社会に接触し、基本を覚えて、本場の演奏家と勝負できるようになって欲しいと筆者は考える。
何か良い策が無いだろうか。