BLOG

ギターUpdate : 2004/01/09 Fri 19:24

米国南東部アパラチア一帯の音楽にギターが関与したことについて、前のトピックで述べましたが、その頃のギターはどういう状況にあったか少し考察してみました。

曖昧ながら、20世紀になって少し経ってからギターがアパラチアの山の中に入っていたことは事実でしょう。当時の奏法はいったいどういう感じだったんでしょう。

マーチン社のギターのペグヘッドには「EST.1833」と記されていますから、米国産のギターは19世紀中頃には流通していたことが分かります。保存されている当時の楽器はヨーロッパ製と同じデザインを持っていたようです。もっともヨーロッパからの移民が楽器制作を始めたのですから当然と言えば当然でしょう。
20世紀初頭、アパラチアの外ではギターはどう使われていたでしょうか。スペイン方面で生まれたギターは、すぐに南ヨーロッパで普及し、19世紀のヨーロッパではリュートに変わる楽器として、クラシック音楽でのリュートの地位を完全に奪っていました。また、スペインが植民地にしたヨーロッパ以外の地域でもギターやギターから変化した楽器が根付きました。ウクレレやカバキーニョ、クアトロなどという楽器はその末裔です。

話をアメリカに戻しますと、アパラチアでは無い地域、北部・東部・南部の裕福な層は、ヨーロッパ同様にギターを楽しんだことでしょう。その他に、当時のことを僕が少し分かる例として、元々フランス領であったルイジアナのジャズがあります(ケイジャンは不勉強であまり分かりません)。1861年に始まった南北戦争の時にルイジアナ州ニューオリンズは南軍の軍港として栄えました。戦争が終わって軍楽隊が放出した楽器を使って、黒人たちが演奏を始めたことが、後のジャズへと発展します。軍楽隊の楽器ですから、マーチング用の管楽器を使って、マーチング曲を黒人独自の方法で演奏したようです。

ジャズの最古の音源は1917年にOriginal Dixieland Jazz Bandによって残されていますが、これは北部の白人がニューオリンズのジャズ風に演奏したもので、最初のジャズではありません。ジャズの祖は1900年前後のほんの短い時間に活躍したニューオリンズのコルネット吹きであるバディ・ボールデンであるとされています。当時の彼の録音はありませんが、1905年に撮影されたという彼のバンドのポートレイトには、驚く無かれ、ギター奏者とコントラバス奏者が写っています。単なるマーチング・ブラスバンドから弦楽器を含めた定置演奏をするバンドへ発展させた演奏家の一人がバディ・ボールデンだったことが分かります。後のニューオリンズ・ジャズの長老達は、ボールデンこそジャズの祖だと口を揃えて発言しています。

キューバでのスペインとの戦争が1903年頃で、ニューオリンズが軍港であった関係で、そっち方面からギターがニューオリンズに入ってきた可能性もありますが、前述のように、すでに19世紀中頃に米国産ギターが流通していたことや、写真の(米国産であると思われる)楽器でも分かるように、20世紀初頭のニューオリンズではギターが市民権を得ていたことは間違いないと思います。そして、マーチ曲やポルカのリズムに黒人独特のシンコペーションを加えたモノを、最初のジャズのリズムだと仮定したら、ギターとコントラバスがどういう奏法を行なっていたかもある程度理解できます。間違いなくリズムとコードを弾いていたのでしょう。そして、管楽器の音量に対抗するためにギターはピックを用いていたことも予想できます。

後に音量の関係で、ジャズバンドでは、ギターはギターバンジョーに座を譲り、その後1920年代半ばには、更にハイピッチで音量も大きいテナーバンジョーを使用するようになりましたが、最初期のジャズでは、リズム楽器、コード楽器として間違いなくギターを使用していたのです。

ですから、アパラチアにギターが登場した時は、東部や北部風の上品なアルペジオ奏法ではなく、音量とリズムでフィドルやバンジョーと対抗するために、ピックによるコード弾きで演奏した、と仮定しても全く問題無いでしょう。

仮説に過ぎませんが、バンジョーのクローハンマー奏法が、アフリカ由来であろうということと同じく、アパラチアのギター奏法にも黒人由来の部分が多いと僕は考えます。アパラチアにどういう経路で伝わったかは謎ですが、いろいろな伝聞をまとめますと、ギターはどうも黒人が持ち込んだようです。
アパラチアのギターは、1920年代半ばにカーターファミリーというギターを中心に据えたファミリーバンドが世に出ることによって大きく実を結びました。(メイベル・カーターのギタースタイルは指弾きではありますが、今日のフラット・ピッキングの元になったスタイルです。)同時期、北部のジャズでもエディ・ラングという天才によってカーターファミリー同様の演奏スタイルが注目されています。(ビックス・バイダーベックの名演で有名なこの音源でも好演しています。)ラングの場合はニューオリンズのギターバンジョー弾きであったジョニー・センシアの影響があったと推測されます。(例えばセンシアがサッチモと残したこの音源は面白いです。)

ライブ演奏だけではなく、録音や放送という活動も当たり前になった1920年代半ばには、包容力があるギターのコードやリズムが、ジャズバンドでもオールドタイム・ストリングバンドでも、演奏のソフト化・グローバル化のために重要な役割をしました。

世は歌に連れ、歌は世に連れ、音楽は時代とともに変化するものです。アメリカの音楽の歴史では、ギターが変化に大きな役割を促したことは否めません。

▼ Comment form