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サッカーUpdate : 2006/06/28 Wed 04:01

うちにはテレビが無いので、僕はテレビを20年近く観ていない(映っているのを「見る」ことはある)のですが、他人の話すところや電車で他人が読んでいる新聞によると、どうやら、日本のサッカーチームがワールドカップでコテンパンにやられたらしいことが分かりました。それで、なんだかとてもうれしい気持ちになりました。

日本は、いつからかカルト宗教信者並のサッカー熱で、赤ん坊からお年寄りまでサッカーに浮かれている様子です。特に、何年かに一度らしいワールドカップはその予選の時分から、狂気じみた応援をテレビの前でしているらしいことも、仲間の話で聞いています。とうぜん、みんなが夜中の生中継にかじりついて、勝負に一喜一憂していることも知っています。

そのサッカーのお陰で困っている代表が水商売でしょう。とにかく、日本チームの試合がある日は、お店がガラガラということで、僕なんかは、水商売やタクシーの人の顔色で世の中の景気を感じる人ですから、サッカーのために水商売の知人が苦渋の自殺でもしないかと、最近は冷や冷やしているわけです。そういえば、プロのサッカー・リーグが発足した頃から、日本の景気が駄目になったのではないでしょうか?経済関連の論客が、景気後退の理由としてサッカーを語らないのは不思議です。

同じようにサッカーにアガリをかすみ取られているのは、他のプロスポーツでしょう。しかしながら、日本のプロスポーツは観客の河岸がサッカーに向いているだけで、どれも同じだと僕は考えています。お分かりでしょうが、F1でもK1でも儲かるのは、結局、広告代理店だけなのです。

スポーツを使い捨てる広告代理店を儲けさせたくないという理由もあるのですが、もっとも、僕はスポーツを観るのがだいたい好きではありません。観戦して贔屓のチームやプレイヤーが勝ったところで、ほんのちょっとうれしいだけで、一銭も儲かるわけじゃなし、その時間とエネルギーが無駄に感じるからです。同じ数時間の自由時間があるのでしたら、もっとやっておかないといけないことが僕にはたくさんあり過ぎるからです。

さらに、僕は勝つことと負けることが嫌いです。ですから、球技や格闘技など勝ち負けがあるスポーツは好きになれません。球技、特に団体競技は、僕は軍隊式の統率と独断専行のヒロイズムしか感じません。深く考えると、軍国主義や絶対主義に通じるナショナリズム的なものさえ感じてしまいます。そういうスポーツを大勢の人が国旗を振って応援している姿を観ると、提灯行列や鉤十字がオーバーラップしてしまうのです。あるいは、かつての共産圏のチームが団体競技に強かったことを思いだして下さい。この僕の気持ちに反論する人は、スポーツマンシップを理由にこれらを否定すると思いますが、日露戦争の後の水師営の会見というのをご存知であれば、軍人魂もスポーツマンシップも同じようなものであることが分かるのではないでしょうか。

同じスポーツでも、記録が後世まで残る、陸上競技(ただし駅伝とかリレーを除く)とか水泳、スケート、自転車競技などが、僕にとっては軍隊式ではない好ましいスポーツです。記録を出した選手や記録を出すために頑張っている選手にはエールを贈りたいです。王選手のホームラン記録や双葉山の連勝記録というのは、勝負の相手が居て成立するもので、人間である限り八百長が介入する可能性を考えると、記録として全くナンセンスです。(スポーツではありませんが、将棋やチェスのそれも全く同じです。)

スポーツは観るより、プレイする方が本筋だと考えています。20年ほど前の一時期、僕もスポーツらしきものを行なうのに一日のほとんどの時間を費やしていました。ロードの自転車のトレーニングで、雨の日もカンカン照りの日も、毎日登り20km、下り20kmをロードワークして、完走する所要時間が徐々に短くなってくる自分にほれぼれしていました。(記録によると、最終的にはジジイの運転する自家用車よりも平均速度が出ていたようです。)しかしながら、数年頑張って、プツリとトレーニングをやめました。それまで想像もしなかったことが自分の身に起きたからです。

一般にすでにある考えなのか知りませんが、スポーツを頑張ると、スポーツ脳になると僕は考えます。実際、僕はスポーツ脳をその頃手に入れました。ですが、このスポーツ脳というのは、音楽や芸術にとって癌のようなものであることが分かりました。僕の音楽の場合ですと、機械的に練習した指使いやフレーズは問題なく演奏できたのですが、たとえば、1コーラス単位で旋律の流れのコントロールや、もっと大きく1曲の中での感情表現が全くできなくなったのです。つまり、自然に情緒的に考える能力が衰えてしまいました。これは、音楽家として致命的でした。ロードのトレーニングをやめて、筋肉が落ちてきた頃に、それが回復しましたから、これは間違いなくスポーツ脳の所為であると考えます。文武両道と言いますが、それは奇麗事で、両方とも一線をクリアして使い物にするというのは、たぶん無理なことだと思います。現に、文武両道で活躍している人を知りません。

さらに言うと、僕が文科系、とくに芸術畑の人間として、スポーツを頑張っている人、つまり体育会系の人を見ると、彼らはそういうスポーツ脳を持っているわけで、体力だけの人間で芸術的な知能が低い(無いに等しい?)と感じます。宴会好きなゴルフ親父に対する嫌悪感と似た感情ですね。

いろいろ書きましたが、音楽を創作・演奏する人は、スポーツ観戦はほどほどにしなければならず、ましてスポーツトレーニングにハマると百害有って一利無しということを書きたかったのです。

それと、スポーツ観戦して勝負の行方を見送らないと夜も日も明けなくなっている人は、体育会系政治家やその手先であるマスコミに洗脳されて、社会的に無能化している自分を振り返ってね、というメッセージも汲み取っていただければ幸いです。

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