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ジプシージャズの起源(2)Update : 2016/09/27 Tue 16:37

gypsy-lady

ジプシージャズの創始者として、Django ReinhardtやStephane Grappelliの名前を挙げる人が居ますが、それは大間違いだということを、前回書きました

1980年代終わり頃まで、ジプシージャズという言葉も音楽ジャンルの呼称も無かったということも、前回書きました

Django ReinhardtとStephane Grappelliが欧州大戦勃発を機にコンビ解消した1939年を境に、DjangoとStephaneのオール弦楽器ジャズ演奏をフォローする楽団が、スウェーデン、ノルウェー、スイス、イタリア、チリ、アルゼンチンなどの土地で活動し始めたということも、前回書きました

では、Djangoのホームグラウンド、フランスではどうだったのでしょうか?

Baro、Matlot、Sarane Ferret

Reinhardt一家と遠縁だったらしいジプシー出身のBaro、Matlot、SaraneのFerret三兄弟は全てギタリストで、Djangoがギターを弾き始めた頃から職業としてギターを演奏していました。特に年上のBaroのスタイルをDjangoはかなり勉強したようです。しかしながら、ジャズ演奏を始めたのはDjangoだけで、三兄弟は昔ながらのバル・ミュゼット音楽や酒場のダンス音楽の伴奏をしていたということです。

Djangoがまだジャズ演奏を始める前、Baro Ferretの伴奏としてGuerinoミュゼット楽団に加わった1933年3月の録音が6曲残されています。Djangoは伴奏に徹し、ソロやオブリガードは全てBaroが弾いています。

それでもDjangoとStephaneの影響かもしれませんが、遅まきながら、1938年頃からアコーディオンのGus Viseurの楽団で少しジャズ風の演奏を始め、ギターソロのコーラスも必ず録音するようになりました。(Gus Viseurや同じアコーディオンのTony Murenaの楽団での活動は60年代まで続きました。)

1938年9月28日録音のGus Viseur楽団。ギターソロはBaroで弟達がリズムを弾いています。

1939年には兄弟のギターだけの録音をLe Trio Ferret名義で5曲残している他、1940年代にはDjango ReinhardtとStephane Grappelliの往年の演奏スタイルを模倣して、Sarane Ferretが自身の楽団で数多くの録音をしました。

Sarane Ferret et le Swing Quintette de Paris、1941年6月23日の録音。

もし当時にジプシージャズという呼称があったとしたら、Ferret三兄弟の演奏がそれに最も相応しいものだったと思います。

Joseph Reinhardt

Djangoの弟、Joseph ReinhardtもDjangoがStephaneとコンビ解消した1939年以降にギターソロを弾くようになりました。Ferret兄弟と一緒にGus Viseur楽団で演奏することも多かったですが、自身のコンボでの素晴らしい録音もいくつかあります。
1943年12月のJoseph Reinhardt et son Ensemble名義の録音。

一時期引退していた時期もありますが、1982年まで存命だったJosephは1960年代にいくつかアルバムをリリースしています。ジプシージャズという呼称もジャンルも無い時代、ジプシー出身のギタリストは普通に電気ギターを弾いていました。マカフェリ型ギターを使うことは珍しかったわけです。これはBireli LagreneやRosenberg Trioがマカフェリ型ギターを弾いてブレークする1980年代まではアタリマエのことでした。
1966年のライブ録音から。

Marcel Bianch

1937年にフランスホットクラブ五重奏団でリズム・ギターを弾いていたことがあるMarcel Bianchは、ジプシー出身ではありませんが、ギタリストとしてDjangoの強力な対抗馬でした。やはりDjangoがStephaneとコンビ解消した1939年以降に活躍しますが、戦後は電気ギターやスチールギターを弾いて、イージーリスニングぽい演奏に徹するようになります。

1944年5月20日パリでのFred Böhler and his Bandの録音。Marcel Bianchiの演奏スキルがよく分かる録音です。サウンドは現代のジプシージャズに近いですが、もちろん当時はそのようなジャンルはなく、Bianchi自身もジプシーではありません。

Henri Crolla

Henri Crollaもジプシー出身ではありませんが、Djangoから直接レッスンを受けたことのある唯一の弟子らしいです。Djangoがビバップみたいなのを演りだした頃、Crollaは旧ホットクラブ五重奏団のクラリネットとベースを伴ってYves Montandのバックバンドに入りました。
1948年のC’est Si Bon等のオリジナル録音はそのメンバーで録音されました。メンバーやサウンドからはホットクラブ五重奏団の正統な後継のように思えます。もちろんジプシージャズではなくシャンソンなんですが。

Montandのバックを演りながらもメキメキとギタリストとして成長します。とくにDjango没の1953年以降、正統な後継者としての立場を主張するかのごとく、Django追悼のいろいろなプロジェクトに関わります。また自身名義のジャズ録音も数多く残しました。Stephane Grappelliとの共演も数多く残しています。しかしながら、ギタリストをやめる1950年代終わり頃からのフランス映画の映画音楽の重要な作曲家としての方が、現在では有名です。

Henri Crolla sa Guitare et ses Rhythmes名義、1955年11月録音。

1960s

1950〜60年代は、もちろんまだジプシージャズというジャンルは有りませんでしたし、表立ってジプシー出身のギタリストがブレークすることはありませんでした。しかしながら、いくつか特筆できる重要なポイントもあります。

ジプシー出身ギタリスト、Etienne “Patotte” Bousquetのが1960年にリリースした「Hommage A Django」は、演奏もサウンドも現代のジプシージャズに通じるものがあると思います。

Bousquetと同じ頃に活躍した、やはりジプシー出身のPaul “Tchan-Tchou” Vidalは現代のジプシージャズ・ギタリストのほぼ全員が直接、あるいは間接的に影響を受けています。この二人に共通しているのは、電気ギター全盛の時代に敢えてマカフェリ型ギターを使い、昔ながらの奏法からさらに複雑化させて弾いているところです。ジプシージャズという呼称もジャンルも無かった頃ですが、彼らこそジプシージャズの直接のルーツではなかったかと僕は考えます。

いずれにせよ、この頃の演奏はホットジャズ色が弱まり、その分、ミュゼット音楽からの転用が増え、フランス土着の音楽のように聴こえます。

1962年頃デビューした、オリジナルセルマーギターを弾くFrancis-Alfred Moermanは、Matelo Ferretと組んで当時の誰よりも現代のジプシージャズに近い演奏をしました。それとは逆に1963年に若干13歳でデビューしたBoulou Ferré(Matelo Ferretの息子)は、ジプシー色、ホットジャズ色が皆無で、電気ギターによる軽いポップなジャズ演奏をしました。

ジプシー出身のJacques Montagneも1960年代半ばに活躍しますが、電気ギターを使ってホットジャズ色の無い演奏をしました。ジプシーではないアコーディオン奏者Jo Privatはジプシー出身のミュージシャンを集めて、自身のミュゼット演奏にジプシー色を出しました。Mondine GarciaとNinine Garciaが電気ギターのデュオを始めたのもこの頃です。民族としてジプシーではなくマヌーシュという呼称を使い始めたのも彼らあたりのようです。

After 1970s

1970年代半ばには、名手Raphaël Faÿsも活動を始め、Fapy Lafertin率いるベルギーのWASOというグループも往年のホットクラブ五重奏団の再現に近い演奏をしました。70年代終わりには天才少年としてBireli Lagreneもデビューしましたが、現在も活動を続けるジプシージャズ・ギタリストが出揃う1980年代中頃までは、ジプシージャズという呼称も無く、ジャンルも特定されていませんでした。

ついでに書きますと、ジャズマヌーシュという言い方もつい最近で、この20年位のように感じます。僕がDjangoを初めて聴いた1978年には、ジプシージャズもジャズマヌーシュも言葉として有りませんでした。だいたい日本では1990年代終わり頃から、その言葉を聞くようになりました。1980年代にリリースされたアルバムのライナーを読んでいてもほとんどそういう言葉は出てきませんので、一般にジプシージャズやジャズマヌーシュという言葉が使われだしたのは今世紀に入ってからかもしれません。

前回も書きましたが、Django ReinhardtとStephane Grappelliがギターとバイオリン、コントラバスだけで一緒に演奏した1934年〜1939年あたりと再会再演した1946年〜1949年の録音をネタに、1980年代終わり頃から出現した(主に)ジプシーの若者たちのバンドでカバー〜フォローした音楽、あるいはその発展形というジャンルが、現在言われるジプシージャズ(やジャズマヌーシュ)です。

追記:(サジェストがありましたので…)
ジプシースイングという呼称が1980年代にはあったということです。僕の掴んでいる情報では、日本のジャーナリストの一人ですが、ご本人から、その言葉を造語として作ったと聞きました。外国でGypsy Swingという言葉が実際に現在使われることもありますが、出典は分かりません。それが1980年代にグローバルに使われて居なかったということは僕は分かります。

続く!

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