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国道176号線稲津町交差点(大阪府豊中市)が起点とされているけど、道勢は尼崎市園田あたりから始まって東へ続き、淀川を豊里大橋で渡ってから、終点は浜口交差点(大阪市住之江区)という国道479号線、通称は内環(内環状線)という道路があります。僕はその道路が東西から南北にカーブするあたり、ちょうど阪急電鉄吹田駅、吹田市役所あたりで1972〜95年の20余年暮らしました。
1990年の大阪国際花の博覧会EXPO90の時はまだバブルの頃で、会場で演奏の仕事の時は、内環一直線の博覧会会場まで家の前からタクシーに乗って現場入りしたことを思い出します。花博では、Stephane Grappelli Trioが演奏した同じステージで違う時間に演奏させてもらったり、たぶんオーストラリアから出稼ぎに来ていたGeoff Bullご一行のバンドを会場内のタイ料理のレストランで長々聴いたことを思い出します。僕なんかは、某電力会社のパビリオンで演奏してましたが、初日の開幕と同時に目の前30mくらいのところでウォーターライドという会場移動トラムが落下事故を起こしたため、1週間ほど仕事が無くなったことも今思い出しました。
その頃は大阪に居ましたが、20年くらい前に「トラッド・ジャズ」という言葉を使ったら、ミュージシャンにも「???」でした。18年前に東京に出てきましたが、こちらでは当時から普通に通じました。
この有名過ぎるDjango Reinhardtの20枚組LPの8枚目のジャケットに使われた写真は、1939年、渡仏楽旅中のDuke Ellington一座とジャムセッションに興じるDjango のバンド。
僕が加入している現在進行形のバンドのことは、ライブのお知らせ以外は滅多にブログには書きません。たぶんこの記事が初めてのポストになると思います。
ちょっと考えることがあって、現在日本屈指のジプシー・ジャズ・バンドのことを文章にしておきたいと思います。
ここでお話する、Yellow Django Revivalは、いわゆるジプシージャズという音楽を演奏するクインテットで、僕がバンマスみたいなことをさせて頂いております。
初ステージは2003年5月24日ですからもう10年以上活動を続けていることになります。その初ステージは、富士山麓の朝霧高原で行われたブルーグラス・フェスティバルでした。当時、僕は関東圏のブルーグラス・フェスのほとんどに顔を出していましたから、その流れで、メンバーが揃ったから出てみようというようなノリだったと思います。かなり遠い記憶ですが、その前の年からリハーサルを何回か行ってて、ようやくバンドの体裁になったというような感じだったと思います。しかしながら、初ステージ時の編成はギター×2+ベースのトリオでした。僕の他、網代直隆くん(guitar)と手島昭英さん(guitar)というトリオでしたが、この二人は現在一緒にやっていません。僕しかオリジナルメンバーは残っていないことになります。
バンド名のYellow Django Revivalは、1980年代に国民的音楽ヒーローになったY.M.O.から日本人を象徴する言葉としてYellow、ジプシージャズギタースタイルの嚆矢Django ReinhardtからDjango、そして先進的なブルーグラスを演奏したNew Grass RevivalやアメリカンロックのC.C.R.からRevivalを頂いて、僕が思いつきで付けた名前です。この名前をこんなに長い間使うとは思いませんでしたが、行きがかり上、僕がこの名前を使うのをやめない限りバンドの解散は無いということになります。
昭和37年〜昭和44年ごろ、大阪府豊中市大黒町というダウンタウンに住んだことがあります。3歳から9歳の頃です。なぜか、その頃の記憶が強く残っています。
そのあたりは、阪急宝塚線庄内駅・三国駅と阪急神戸線神崎川駅を頂点とした三角形の真ん中あたりにあって、風向きによっては、当時汚水路になっていた神崎川の悪臭が、風通しの良い長屋の食卓にまで漂ってきました。僕らの街は川っぷちという歌もありましたが、そこは町工場も多く、金属が焼けたような臭いも町に染み付いていました。ドブ川は毎日水面の色が変わりました。
昔、チラシとかビラと言っていたものを、最近ではフライヤーと呼ぶみたいで、僕も自他問わずフライヤー作りをすることがよくあります。(製作の依頼を受ける場合は一応プロとして仕事させていただきます。長年、組版や印刷現場のことにもたずさわっています。)
ミュージシャン、どこか事務所にでも所属していれば、ライブの告知とかブッキングをほとんど任せて連絡だけ待ってたらいいのですが、フリーランスだとそれらは全部自分で行わないといけません。
とは云え、マネージメントの一部をいろいろ面倒を見てくれる人が居れば、フライヤー(チラシ)製作くらいはやってくれるかもしれません。そんな気の利いた友達も居なくて、無いスキルを絞ってMS Wordで自分のライブのフライヤーを作らないといけないかもしれません。あるいは、PhotoshopやIllustratorを使いこなし、素人が作るよりも数段格好良いフライヤーをミュージシャン自身が作れる場合もあるでしょう。