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七尾のバス停でUpdate : 2014/09/24 Wed 14:23

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国道176号線稲津町交差点(大阪府豊中市)が起点とされているけど、道勢は尼崎市園田あたりから始まって東へ続き、淀川を豊里大橋で渡ってから、終点は浜口交差点(大阪市住之江区)という国道479号線、通称は内環(内環状線)という道路があります。僕はその道路が東西から南北にカーブするあたり、ちょうど阪急電鉄吹田駅、吹田市役所あたりで1972〜95年の20余年暮らしました。

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1990年の大阪国際花の博覧会EXPO90の時はまだバブルの頃で、会場で演奏の仕事の時は、内環一直線の博覧会会場まで家の前からタクシーに乗って現場入りしたことを思い出します。花博では、Stephane Grappelli Trioが演奏した同じステージで違う時間に演奏させてもらったり、たぶんオーストラリアから出稼ぎに来ていたGeoff Bullご一行のバンドを会場内のタイ料理のレストランで長々聴いたことを思い出します。僕なんかは、某電力会社のパビリオンで演奏してましたが、初日の開幕と同時に目の前30mくらいのところでウォーターライドという会場移動トラムが落下事故を起こしたため、1週間ほど仕事が無くなったことも今思い出しました。

花博のことを書くつもりではありませんでした。それよりまだ20年近く前の話です。

その内環阪急吹田駅あたりを南に曲がらずにまっすぐ行くと茨木市の方に行きます。地元ではこれを産業道路と呼んでいましたが、平行して走る鉄道はJR東海道線や阪急京都線があるにも関わらず、産業道路は線路まで距離がかなりあって道路沿いは陸の孤島化して、自転車や阪急バスが唯一の移動手段でした。

阪急吹田駅を挟んで反対側に住んでいた吹田第六中学校の同級生梶原くんは、フォークギターを弾いたりする仲間でした。お姉さんが美人だったのを覚えています。僕とは違う高校に行ったので疎遠になりましたが、ある日電話がかかってきて、彼の高校に僕と同じようにブルーグラスが好きな奴が居るから一度会ってみたら?ということでした。ということで日時と場所を訊いておきました。

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伝えて貰った日時(今から39年前の同じ季節?)に、高校入学祝いに父親に買ってもらったTOKAIのHumming Birdというバンジョーを持って産業道路を走る阪急バスに乗り込みました。そうすると、約束の七尾という寂れたバス停にその男は立っていました。お互い初対面の高校1年生で、(特に僕は社会性ゼロでしたから、)どういう挨拶をしたか忘れましたが、その彼が後に大阪経済大学でブルーグラスのマンドリンを弾くことになる太田くんでした。彼の逸話はいくらでも書けるのですが、ここでは省略して、当時彼はTony Blackと名乗っていたことだけ紹介しておきましょう。当時まだマンドリンを弾いていなくて、リードギターにご執心だった彼は、Tony RiceとClarence Whiteにぞっこんでした。でも芸名をTony Whiteにしたらあまりにもそのままで恥ずかしいということでTony Blackにしたのだと教えてくれて、僕なんかには理解できない高校生の見栄を感じました。

彼に案内されて、彼のご両親が経営する繊維関係の工場の二階に案内されると、彼の幼なじみだという、また同い年の男が居ました。彼は後に同志社大学Dixie Ramblersでフィドルを弾くことになる工藤くんです。大学時代にみんなが感じた病弱そうな感じは当時も同じでしたが、まだフィドルなどには手を出しておらず、Blue Bellのメイプルのバンジョーを持ってきてて、僕よりも数段上手にブレークダウンを弾きまくりました。そして、この3人で夕方日の暮れるのも忘れて弾きまくったわけです。何を弾いたか忘れてしまっているのが残念です。自分以外の人間とブルーグラスの合奏をした最初の日でした。

まあ、たったこれだけの思い出話なんですが、実はその後も何回か太田くんの家でジャム会が開催されて、彼自慢のオープンリールのテープデッキで何曲かを録音したことを覚えています。内容まではやはり残念ながら思い出せないのですが、なんと、太田くんは全テイクをデジタル化したというではありませんか。この夏に久しぶりに会った時にその旨聞いたので、住所を連絡するからということでデータを貰う約束をしていたことを、また今思い出しました。貴重な39年前の高校生だった自分や友人の演奏が残っているなんて、なんと幸福なことでしょうか。降伏しないといけません。

というわけで、僕の住所をご存じの方は、太田くんに伝えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

閑話休題————

下の音源は、高校2年(1976年)の夏から冬の間?、自宅で録音したものです。高校生としてはいっぱいいっぱいです。
まだアマチュア用ののMTR(マルチトラッカー)デッキが発売される前でしたので、多重録音はデッキ2台使ってのピンポン録音で行わなければならないため、音質も演奏も大したものは記録出来ませんでしたが、その春に買ったWカセットデッキが大活躍しました。ドンカマなど使えない頃ですので、主メロのバンジョーを録音してからベース>ギター>マンドリン>ドブロの順にピンポンでかぶせていったと思います。

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