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佐藤美保子(まるみ)さんからエッセイを寄稿していただきました。
ジャンゴとの出会いはいつだったろうか。熱烈なファンというわけではないが、一時期、ほんとによく聞いていた。いまレコード棚から引っぱりだしてみたら、ジャンゴのレコードは5枚あった。なかに1枚、「records Shop OTSUKI UMEDA OSAKA」という袋に入ったのがあった。宝塚フェスの帰りか、あるいは何か別のイベントに参加したときなのか、梅田のレコード屋に立ち寄って入手したものらしい。
どのレコードもそうなのだけれど、いつ、どこでそのレコードを買ったのかということはほとんど忘れてしまっている。しかし、ひとたび針を落とすと、そのレコードを聞いていた時の風景や心情がありありと蘇ってきて、なんとも切ない気持ちになる。
いまBGMで流しているのは、「EN BELGIQUE 1942」という作品。これが私がいちばん最初に買ったジャンゴのレコードだ。このアルバムは第二次世界大戦中、ジャンゴ32歳のときの録音。パリはドイツ軍に占領され、ホットクラブオブフランスは解散しステファン・グラッペリはロンドンに滞在していた。パリにとどまったジャンゴは残ったメンバーとともにベルギーに演奏旅行に出かけ、そこでこの録音を残した。ピアノとのデュオもあれば、ビッグバンドを従えたり、さらに自らバイオリンを演奏したりもしている。数日後にはブリュッセルもドイツの占領下となる。敵国アメリカの音楽を嫌うナチスが目の前に迫っている、そんな緊迫した雰囲気のなかでの演奏だ。
このレコードを買ったのはたぶん21歳くらいのときだろう。21、2の女子学生とジャンゴの取り合わせって妙ですね。でも好きだったんですよ。ちょっと背伸びしてみたかったのかもしれない。
なぜジャンゴを聞くようになったのかはよく覚えていないが、そのころファンだったマンドリンプレーヤーがよく弾いていた「マイナースイング」から興味をもったのじゃないかと思う。マンドリンでギターのフレーズをコピーして遊んだりもしていた。もちろん演奏できるようなレベルに達するわけはなく、マンドリンで彼のフレーズを弾いたらどんなふうになるのか、どんふうに指を運べばいいのか、ただ試してみたかったのだ。
このところジャンゴブームにわくブルーグラス界。あのきれのいいリズムと、センチメンタルなフレーズがいろんなところで聞けるようになると思うと、とてもうれしい。
2002年10月5日寄稿