15928660 visitors have come to this site since 26th April 1996.
今まであり得なかったことですが、今月は毎週のように外タレ大物のライブにサポートや前座で出演させていただいてます。昨日16日日曜日は、下北沢のラ・カーニャというところに、1960年代イギリスのロック・スターだったイアン・ウィットコムさんのソロ・ライブのお手伝いと前座で行ってきました。
(右画像はリハーサルの模様)
ラ・カーニャへは先週も行きましたので、迷わずに行けました。この日は、僕が参加しているThe Rat Orchestraが前座をしましたが、2004年11月のジャネット・クライン東京公演の前座をやった時のことを覚えてくれていて、これはイアン・ウィットコム本人の希望ということで3ヶ月ほど前にオファーがありました。また、同時に一緒に演奏もして欲しいということで、あらかじめ本人より7曲の譜面が送られてきていました。
The Rat Orchestraのリハとサウンドチェックを1時間ほどやった後、イアンが渋谷でのインストアライブを終えてお店に到着し、そのまますぐに合奏のリハーサルを始めました。僕は、先週のジム・クエスキンのサポートが終わるまで何もできず、この1週間特訓して、ようやく7曲の構成やコード進行を覚えたわけですが、リハを始めてみると構成は譜面通りではなく、イアンのその場の思いつきで決まって行きました。指示されていた7曲はイアンの新譜(Lone Pine Blues/日本編集のコンピレーション)の収録曲なのですが、実は、イアン自身も何年もやっていない曲ばかりだということで、アレンジを全く忘れているということでした。こちらでCDのアレンジ通り弾くとイアンはビックリしていました。そして、イアンのロックスター時代のヒット曲「You Turn Me On」と「N-E-R-V-O-U-S」、それから「Chattanooga Shoe-Shine Boy」も急遽一緒にやることになりました。
本番は、僕らThe Rat Orchestraがまず前座で4曲演奏しました。客席には知人の顔も見えましたが、ほとんどは普段とは違うお客さんで、しかも一番前の方には、ジャネット・クラインの顔も見えてビックリしました。ジャネットのツアーは18日火曜日から始まるのですが、前乗りして、鎌倉で静養していたようです。この日は、イアンと一緒にインストアライブをしたついでに寄ったようです。ジャネットが聴いている前で歌うThe Rat Orchestraのオネイサン二人はさぞや緊張したでしょう。そしていよいよイアンのステージが始まりました。僕は、進行をちゃんと把握していなくて、イアンの1曲目のイントロにギターを付けてしまいましたが、これは大きな間違いで、最初はウクレレの弾き語りから始めるとのことだったのでした。イアンはイントロをすぐやめてやり直しをしました。ここで、僕はとても冷や汗をかきましたが、その後、一緒にやる曲が始まる頃には汗も乾き、イアンの人柄で穏やかに演奏することができました。
途中、ジャネットが飛び入りでステージに上がり、ウクレレだけでイアンとジャネットのデュエットも聴くことができました。もう一曲デュエットがあって、曲は秘密(ツアー用に仕込んできたと思われるサプライズ・ソングです)ですが、僕らも一緒に演奏しました。
そして、最後まで熱狂の中、齢65歳とは思えぬシャキッとしたステージングで、アンコールを終えてステージが終了しました。その後は、恒例のサイン会ですが、来たお客さん全員にサインをしたのではとないか思うくらい盛況で、なかなか行列がなくなりませんでした。あとは、お約束の打ち上げで、来週24日(月)のジャネット・クラインツアー最終日の渋谷クアトロでの再会を約束して「Goodnight」しました。トムスキャビン様、また来週もよろしくお願いいたします。
♪イアン・ウィットコム・ライヴ、お疲れ様です。邦人ミュージシャンの質の高さにイアン、ジャネットともに感激しておりました。もちろん先週のジム・クウェスキンも絶賛しておりました。ナイスなサポート、ほんとうにありがとうございました。麻田さんもおっしゃっていたように、ウィットコムの単独ライヴ。イン・ジャパンは、ぼくらの夢でしたから・・・。4/24、ジャネットのクワトロ・ライヴ楽しみにしております!
カツ様
僕らの質は決して高いとは思いませんが、30年間前後こういうことをやっているとそれなりにツブシが効くようです。そして、このツブシが育ってゆくのは、こういうチャンスを度々下さる方々のおかげだと感じています。僕個人はブルーグラスが本当に好きで、そのためにブルーグラスが盛んな大学へ行ったような輩ですが、20代からの15年間を、場末のジャズバンドに雇われたり、自分でエイギョウの仕事を取ったりと、なんとか音楽を生業にして過ごしました。今となっては、幸いにもそれが地力になったと思います。今は、本当に心から楽しめる音楽だけを演奏させてもらってますので、これからも経験を積める機会を大切にして行きたいと思います。