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日曜日の朝、騒音で目が覚めました。遠くの運動会の応援の太鼓が、とてもうるさく耳に届いたからです。
僕は運動会が嫌いでした。小学生低学年の頃は、家族や親戚がお弁当を持って応援に来てくれて、お昼にはゴザの上でピクニック気分になれましたので、それほどでも無かったのだと思うのですが、学年が上がるに連れ、丸一日のイベントなのに、自分が動くのは開・閉会式と徒競走、団体競技のひとつくらいで時間を持て余し、野外で体操服ですから、いつも身体が冷えて苦痛だったことしか思い出せません。元々運動神経が良い方ではありませんから、学級対抗競技には出ませんし、クラスを愛し代表選手を応援するようなバカでも無いので、運動会は退屈なイベントでしか無かったわけです。あるときなどは、待機中に読書を決め込んでいましたら、担任に叱られたことがあります。他にしなければならないことがあるわけではないのに、教養を高める読書を叱るなどとは、なんと理不尽なことではなかったでしょうか。自分の体力は誰よりも分かっていますので、徒競走の時などは、順位を付けなくともビリは確実ということで、ほとんど歩くような走り方で進行を遅らせてあげたら、これも叱られてしまいました。国際陸上はもちろん、運動会の徒競走で歩いてはいけないというルールは無いはずなんですが…。
というよりも、競い合うのが好きでは無かったのだと思います。徒競走ではなく、50メートルや100メートルの個人タイムトライアルなら一所懸命走って自己ベストを出したでしょう。勉強も同じで、テストでは自分が良い点を取りたいだけであって、クラスメイトと順位を競い合うことはありませんでした。進学や就職についても全く同じでした。
中学校3年でみんながフォークギターを頑張っている時、僕はさっさと見切りをつけて、バンジョーに転向しました。どんなギターの指弾きよりもバンジョーの方が自分にはカッコヨク感じたし、競争相手もいなかったからです。20代半ばには、自転車競技に凝りましたが、レースで頑張るというよりも、独りで峠や山の中をどれだけ速く走れるかの方が僕には向いていました。トレーニング中に勝負を仕掛けてくる走り屋さんには、いつも道を譲って、抜かれ際に中指を下に向けました。
音楽にたずさわっていても、競い合うのが好きではないというポリシーは変わりません。良い音楽とは自分が良いと思っているものであって、自分のために自分の技術を磨くだけで、他人の演奏と競い合うのは馬鹿らしいと思っています。
運動会の太鼓で朝早く起こされ、一日機嫌が悪く、運動会のスターだったヤツラはその後どうしているだろうか、などと考えながら、昔のことを思い出してしまいました。アイツラきっと今ごろ、きっとつまらんタダのオッサンになっているのだろうな。